メモ2013-04-23
テーマ:その他

夢窓疎石の手がけた京都の庭

今回、ご紹介するのは・・・

夢窓疎石(むそうそせき)の手がけた京都の庭です


彼は、鎌倉時代後期~室町時代初期の僧で

母方の一族にあたる北条氏を始め

後醍醐天皇や足利尊氏など

朝廷と幕府の両方から篤い崇敬を受けた

禅宗の僧として知られています


これに加え『優れた作庭家』としても有名で

現在も京都には

彼の手がけた庭が残されています。


という事で、今回は

夢窓疎石や作庭した庭について、ご紹介したいと思います。


1275年、伊勢国(いせのくに・現在の三重県)に

生まれた夢窓疎石は、9歳の時に

甲斐国(かいのくに・現在の山梨県)にある

平塩山寺(へいえんざんじ)に出家し

僧としての人生をスタートします。

※三重県鈴鹿市が生誕の地と言われています。


そして彼が20歳の時に・・転機が訪れます

師と仰いでいた僧が死去する際に

見るに耐えない哀れな形相で『死』に脅え

死んでいった事から

宗派に対する不信感を抱くようになったそうです。

※彼は禅宗の僧として知られていますが、当時は違う宗派だったんですね。


ちょうどその頃、夢の中で

中国の禅僧である

疎山光仁(そざんこうにん)と石頭希遷(せきとうきせん)に

会う夢を見た事がきっかけとなり

禅宗のお寺へと修行を行く事を決めたんですね。

※どうやら、以前から禅宗に興味があったようです。


ちなみに、この2人の名前から1字ずつ取り

自らを『疎石』と呼んだそうです。


こうして修行の為に

京都の建仁寺(けんにんじ・臨済宗で禅宗の寺)を訪ねました。

以後、京都や鎌倉などを中心に

全国各地を行脚し、修行を重ねます。


禅宗と言えば

堂内において禅を組む修行が一般的ですが

彼は自然の野山に行き、自然の中で禅を組み

修行を行なっていたそうですよ。


では、彼が手がけた庭も紹介していきましょう!


・西芳寺(さいほうじ)

京都府京都市西京区松尾神ケ谷町56


通称・苔寺(こけでら)で知られるお寺です。

夢窓疎石は1339年に、このお寺の再興と作庭を手がけています。


庭は上段の枯山水庭園

下段の池泉回遊式庭園で構成されていて

池の周囲は、100種類以上もの苔で埋め尽くされています

※苔は夢窓疎石が作庭した当時は無く、江戸時代になってからだそうです。


京都でも人気の庭の1つですが

現在、一般開放はされておらず

見学には、事前に往復はがきで申し込みが必要です


等持院(とうじいん)

等持院

京都府京都市北区等持院北町63


室町幕府初代将軍で知られる足利尊氏が

夢窓疎石に帰依していた事から

1341年に中興した際に、住職として迎え入れられました


以後、足利家の菩提寺となったお寺です。

芙蓉池

こちらの庭は

『芙蓉池(ふようち)』『心字池(しんじいけ)』と

呼ばれる2つ池を中心に構成され

西側の芙蓉池から、東の心字池に水が流れ込むように

設計されています


心字池

こちらが心字池です。先ほどの池が芙蓉池になります。


ちなみに、心字池はその名の通り

池が『心』の字をかたどっているんですね。


書院から座して

芙蓉池を眺めるのがオススメだそうですよ。


・天龍寺(てんりゅうじ)

天龍寺

京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町68

1345年に足利尊氏が、後醍醐天皇を弔う為に建てたお寺で

等持院と同様、夢窓疎石が住職を務め

これと同時に庭を手がけました

※足利尊氏と後醍醐天皇の関係については足利尊氏ゆかりの地巡りをご覧下さい。


巨大な池を配した

曹源池庭園(そうげんちていえん)と呼ばれる庭は

嵐山を借景としたスケール感の大きさが特徴で

苔寺同様、人気の庭園の1つです。


ちなみに、曹源池庭園は

国の史跡・特別名勝、第1号に指定されました。

※天龍寺に関しては天龍寺 その1天龍寺 その2の記事をご覧下さい。


南禅院(なんぜんいん)

南禅院

京都府京都市左京区南禅寺福地町86


亀山天皇が着工し、夢窓疎石の手によって

完成したと言われる庭で

上池と下池と呼ばれる2つの池から構成されています。


上池

上池には『鶴島』『亀島』

下池には『心字島』と呼ばれる小さな島が作られています。


ちなみに、先ほど紹介した

天龍寺、苔寺と、こちらの南禅院の庭を併せて

『京都三名勝史跡庭園』と呼ぶそうです。


鎌倉時代の名園と呼ばれているのは

こちらの庭だけだそうで

大変、希少価値の高いものだそうです


という事で今回は

夢窓疎石の手がけた庭をご紹介しました


場所はコチラ↓


より大きな地図で 夢窓疎石の手がけた京都の庭 を表示