メモ2010-09-15
テーマ:お寺
関連:弘源寺 / 宝厳院 / 宝厳院の紅葉 / 天龍寺の蓮 / 慈済院 / 

天龍寺

こんにちは、京子です。

さて本日は、

足利尊氏が後醍醐天皇を弔う為に建てたお寺で

世界遺産としても大変有名な・・


天龍寺

天龍寺(てんりゅうじ)

さて、この天龍寺は臨済宗のお寺なんです。


天龍寺の石碑

そうです!


臨済宗といえば・・五山制度ですよね

臨済宗の主な5つの寺院を選んだ「五山」の寺格を制定。

天龍寺のこま札

その五山制度の第1位と言われるのがこの天龍寺なんですね~。


ちなみに、そのランキングがコチラ↓

別格:南禅寺

1位:天龍寺

2位:相国寺

3位:建仁寺

4位:東福寺

5位:万寿寺


天龍寺の説明

古都京都の文化財である天龍寺


では、その五山1位である

天龍寺の中へ入ってみましょう!!


天龍寺の法堂

まず入って最初に見えるのがこの法堂(はっとう)

中には開基である足利尊氏の木像が祀られています。


そして、撮影禁止だったのが残念だったんですけど

現在、期間限定で直径9メートルにも及ぶ「八方睨みの龍」も公開されています。


※八方睨みの龍とは天井に描かれた龍で、どこから見ても、こちらを睨んでいるような龍なんですね。

天龍寺の庫裏

こちらは庫裏(くり)

台所兼寺務所の役割がある建物ですね。

ちなみにこの中には・・・・


どどーん!

天龍寺の達磨図

達磨図(だるまず)

けっこう巨大でビックリしました

なんというか、かなり絵のタッチが現代のイラストに近いですね~


(・∀・)ノさて、ここで皆さんも

少し疑問に持たれるかもしれませんけれど


そうなんです!

そもそも・・・・

足利尊氏と後醍醐天皇ってそんなに仲が良かったっけ


いや・・むしろ仲が悪いはず。。


というのも

足利尊氏はご存知、室町幕府を開いた初代将軍ですよね。


当初、2人は一緒に「鎌倉幕府」を倒したチームメイト。


しかし、その鎌倉幕府を潰した後、

後醍醐天皇が主導となって政治を取り仕切ります。


それが

「天皇を中心とした天皇親政」だったんですね。

建武政権と言われるものです。


しかーーーし!

せっかく一緒になって幕府を倒した足利尊氏は黙ってはいません。

というのは、武力で鎌倉幕府を倒しておきながら

なんと、後醍醐天皇は

武士に恩賞はほとんど与えず

全国に国司(公家行政)と守護(武家行政)を併置し

地方が混乱し始めます。


これにより権力が分散。


結局、

恩賞がもらえない鎌倉幕府を倒幕した武士たちの

フラストレーションが溜まり

足利尊氏を祭り上げた形で・・・

後醍醐天皇VS足利尊氏

の戦いが勃発しちゃうんですね(汗)


天龍寺の方丈

こちらは方丈(ほうじょう)になります。


天龍寺の方丈の内部

方丈の中にも、大きな龍がいました。襖なんですけどガラスを張って保存されていました。


戦う事になったものの、

天皇には護衛兵はいても、軍事力はありません・・・(汗)


そんな弱小の天皇側チームで、足利尊氏と戦ったのが

楠正成(くすのきまさしげ)だったんですね。


しかし力関係は明白で

楠正成を中心とする700余りの兵は

なんと・・・

海上からの10万余、陸上から1万余の足利軍の挟み撃ちに合い自刀に追い込まれます


やっぱりそうなるよね(汗)

楠正成らはこれほどの劣勢の状況の中でも

七生報国(しちしょうほうこく)

つまり、「七たび人と生まれて、逆賊を滅ぼし、国に報いん」という誓いの元

負けるのが当然、死んでも当然だが、

それでも7回生まれ変わって逆賊(足利軍)を滅ぼそうという

高い志の元、天皇に仕えて戦っていたんですね。


ちなみにこの「七生報国」の考えは幕末、長州藩を中心とした尊皇攘夷派の人たちの思想にも強く語りかけたようで、天皇の為に戦い命を捧げる覚悟で尊攘を決行したんですね。攘夷志士の人たちの間では楠正成はヒーローとなっていたようです~。


天龍寺の曹源池庭園

方丈から見るこの素敵なお庭は、夢窓国師(むそうそせき)設計による「曹源池庭園」


天龍寺の龍門の滝

見難いかもしれませんけれど、正面の枯山水の三段の石組は「龍門の滝」といい、これは中国の故事に由来するそうです。


さて、そんなこんなで

足利尊氏に負けちゃった後醍醐天皇。

結果的に彼は・・・


幽閉される事に(汗)


そして・・・足利尊氏に言われ

天皇の証明である三種の神器まで取り上げられちゃいます(汗)


しかし、一筋縄では終わらない後醍醐天皇!


「俺が足利尊氏に渡した、三種の神器は嘘だよーーー!俺が本当の天皇だーー!」

と、言い京都を脱出し、

吉野山で亡命政権である「南朝(吉野朝廷)」を作り、ここに南北朝が始まるのです。


後醍醐天皇に2度も嘘を疲れちゃった足利尊氏。

しかし、そんな彼の今があるのも後醍醐天皇がきっかけとなったのかもしれませんし

生きている間に仲直りは結局出来なかったけれど

「義」を感じていたのかもしれないですね~。

ちなみに、足利尊氏が後醍醐天皇の怨霊に悩まされていたから建てたという説もあるようです(笑)


天龍寺の多宝殿

方丈を抜け渡り廊下を進むと「多宝殿」があります。中には後醍醐天皇像がありました。


天龍寺の竹林

山間に面した天龍寺、すぐ側に見事な竹林がっ!!


天龍寺の平和観音

中国より伝来した「平和観音」と、その観音様を守るカエルさん。観音像の前の涌き水は地下80mのから涌き出る霊泉だそうで「愛の泉」と呼ばれるようです。


さて

足利尊氏は

この天龍寺を作る事を決めたまでは良かったんですけど

じつは・・・・


( ´Д`)お金に困っていたんですね。

そこで、造営のために行ったのが

中国大陸にある「元」との貿易でした。

これにより儲かったお金で、天龍寺を建設したそうで

その貿易に使われていた船を

「天龍寺船(てんりゅうじぶね)」と言うそうですよ。


そんな世界遺産である天龍寺の場所はコチラ↓


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