今回ご紹介するのは

京都府木津川市(きづがわし)にある


懸木社(さがりきしゃ)

懸木社(さがりきしゃ)です!


こちらの懸木社が

どこにあるのかと言いますと

相楽神社(さがなかじんじゃ)が近くにあるエリアです♪


具体的には
古くは歌姫街道(うたひめかいどう)という
府道751線通り沿いにポツンとありまして
地元の人からは一本松と呼ばれる
大きな松の下にあるんですね~

※平城京の宮中で雅楽を演奏する方や舞を舞った女官が多く住んでいた事から歌姫街道といわれたそうです。


ですから懸木社に訪れる際には

大きな松の木を目印に行かれると良いですよ


ちなみに松の下にはもう1つ

有名なお地蔵さんが安置されているんですね

※祠のある場所は南北朝時代には、大きな7つの伽藍があったようです。


夜泣留地蔵(よなきどめじぞう)

名前を夜泣留地蔵(よなきどめじぞう)といい
昭和の中ごろまでは
篤く信仰されていたといわれています


当時は樹齢400~500年の大きな松の木があり

その松の葉を子供に煎じて飲ませると

夜泣にきいたそうなんですね


そんな夜泣留地蔵や懸木社のある地域は

昔は『懸木(さがりき)』といって

実はとても悲しいエピソードが

残されている場所なんですね


それは古事記にも記載されているお話で

この辺りの地名にも関係しているものなんです


呑多家瓢樂令師碑と書かれた石碑

懸木社には「呑多家瓢樂令師碑」と書かれています。


古事記の垂仁段には

丹波出身の4人の姉妹が

垂仁天皇(すいにんてんのう・第11代天皇)に

嫁いだお話が載っています


その4姉妹は

・比婆須比売命(ひばすひめのみこと)

・弟比売命(おとひめのみこと)

・歌凝比売命(うたごりひめのみこと)

・円野比売命(まとのひめのみこと)

です。


この4姉妹は

同時に宮中に呼ばれたんですけれど

2人だけを留めて

実家に帰されてしまうんですね


え?どうして?

と思いますよね~


その理由は

なんと!容姿が醜かったから!

というものだったようです


驚かれた方もいるかも知れませんけれど

実は古事記には

こういった姉妹の悲劇は

他にも登場しているんですね


それは木花咲耶姫命(このはなのさくやひめのみこと・木花開耶姫命)と磐長姫命(いわながひめのみこと)の話です

※詳しくは、大将軍神社(西賀茂)の記事をご覧ください。


つまり古事記曰く
古代は美しくないとお后になれない!
という事ですよね


少し話がそれちゃいまいたけれど

とにかく2人の姉妹は実家に帰される事になりました


けれどそれにひどくショックを受けたのが

円野比売命(まとのひめのみこと)だったんですね。


彼女は帰路の途中、この相楽で

「同じ姉妹の中で醜いという理由で返された事は、きっと近所で噂になる・・・なんと恥ずかしい事なのでしょう」

と言って木の枝に取り懸がって(さがって)

首をかけて死のうとします


結果的に一命を取り留めたそうなんですけれど

そんなエピソードが元になって

この辺りの地名を懸木(さがりき)と呼ぶようになったそうです


懸木社と書かれています。

懸木社と書かれています。


その後、懸木(さがりき)が訛って相楽と書いて

『さがらか』『さがなか』

読むようになったそうですよ


今回ご紹介した懸木社は

その首をかけた場所なのかどうかはわかりませんけれど

そんな由来のある地名から

取られた社というわけですよね♪


そんな懸木社のある場所はコチラ↓

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