メモ2014-05-19
テーマ:お寺

金地院

今回ご紹介するのは

京都の東山にある

金地院

金地院(こんちいん)です!


金地院は臨済宗南禅寺(なんぜんじ)の塔頭の1つで

室町幕府4代将軍である足利義持(あしかがよしもち)が

大業徳基(だいごうとくき・南禅寺第68世住持)を開山として

創建したお寺と伝わっています。

※足利義持は、父親の義満(よしみつ)とは仲が悪かったと言われているんですね。父親の死後に朝廷より送られた『太上天皇(だいじょうてんのう、だじょうてんのう)』という尊号を断った事でも有名です。詳しくは退蔵院の記事をご覧下さい。


もともとは北山の鷹ケ峯(たかがみね)にあったんですけれど

徳川家康(とくがわいえやす)のブレーンであった

以心崇伝(いしんすうでん)によって1605年に現在地へと移されました


ちなみに崇伝は天海(てんかい)とともに

通称『黒衣の宰相(こくいのさいしょう)』と呼ばれ

非常に権力を持っていたんですね~。

※天海について詳しくは、毘沙門堂の記事をご覧下さい。


黒衣の宰相とは、僧職でありながら権力を持った人の異名の事なんですけれど

歴史上、黒衣の宰相と呼ばれた人は

実は数人いるんですよ


現在放映中のNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』で

毛利家の家臣として

登場している安国寺恵瓊(あんこくじえけい)も

黒衣の宰相と呼ばれていました。


史蹟及名勝 金地院庭園と書かれた石碑

そんな崇伝は、徳川家康に仕えて

キリスト教の禁止や

寺院諸法度、武家諸法度、禁中並公家諸法度を

起草したと言われているんですね。


かなり頭のキレる人だったんですよ~


何より豊臣氏が滅亡するきっかけとなった

方広寺鐘銘事件(ほうこうじしょうめいじけん)にも

大きく関わったと言われています

方広寺鐘銘事件について詳しくは方広寺の記事をご覧下さい。


それでは早速レポートしていきましょう♪


まずはこちらの山門をくぐると

庫裏

庫裏(くり)があります。

庫裏というのは、お坊さんの食事などを用意する所ですよね。


そして、奥に進んでいくと

目の前に大きな門があります。

明智門

明智門

こちらの門は『明智門(あけちもん)』と呼ばれ

明治元年に大徳寺から移築したものだと言われています。


名前のとおり、明智光秀(あけちみつひで)ゆかりの門で

光秀が母の菩提のために黄金千枚を寄進して

大徳寺に建立した門なんだそうです。


そんな明智門をくぐると・・・

弁天池

弁天池

弁天池があります


そして・・・ぐるりと池を回った先にあるのは

東照宮

東照宮(とうしょうぐう)です!

東照宮といったら家康ですよね~!!


東照宮は1628年に

家康の遺言によって建てられ

家康の遺髪と念持仏とを祀っているそうですよ


天井には龍が描かれていて

狩野探幽による龍と、土佐光起による36歌仙の額

狩野探幽(かのうたんゆう・江戸時代前期の画家)の筆によるものなんだそうです。


また内部の36歌仙の額は

土佐光起(とさみつおき・江戸時代前期の画家)の筆によるものと言われています。


ちなみにこの東照宮は

かつて日光東照宮と比べられる程

大変立派なものだったそうですよ


東照宮の彫刻

東照宮の彫刻 その1

東照宮の彫刻 その2

東照宮の彫刻 その3


東照宮を通り過ぎ

さらにぐるりと回ると

開山堂

開山堂

開山堂があります。


お堂の中には16羅漢像が安置され

崇伝木像

さらに奥には、崇伝木像が安置されています


そしてこちらが方丈になります。

伏見桃山城の一部を移築した方丈

伏見桃山城の一部を移築した方丈で

山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)が書いたといわれる

布金道場と書かれた額

『布金道場(ふきんどうじょう)』の額があります。


山岡鉄舟は、幕末から明治に活躍した

思想家で

身長が188センチもあり

剣の達人だったと言われているんですよ


現代でも188センチの男性は

かなりのノッポさんですけれど

当時は今以上に目立っていたんでしょうね~


ちなみに幕末の三舟(さんしゅう)の1人に数えられています。

※幕末の三舟とは、幕末から明治にかけて活躍した3人の事で残りの2人は、勝海舟(かつかいしゅう)、高橋泥舟(たかはしでいしゅう)です。


布金道場の額は

そんな彼が明治の廃仏毀釈からお寺を守るため

「ここは、お寺ではなく道場である!」と思わせるために

書いた額だと言われているんです

※廃仏毀釈について、詳しくは泉涌寺 その1の記事をご覧下さい。


ちなみに方丈には、金地院の本尊である地蔵菩薩が安置されています。


そして方丈前のお庭は

小堀遠州(こぼりえんしゅう)が作庭した

鶴亀の庭

鶴亀の庭

『鶴亀の庭』があります!!


小堀遠州は、近江出身の武将であり

茶人、作庭家でもある人なんですよ。


もともと秀吉の家臣で

のちに家康に仕え、二条城の二の丸庭園や

南禅寺方丈庭園などを手がけたと言われています。

※二の丸庭園の写真は、二条城 その1の記事をご覧下さい♪


しかし小堀遠州の作と

確実に資料が残っているのは

鶴亀の庭だけなんだそうです。


意外な事実ですよね~


鶴亀の庭は祝言庭とも言われ

崇伝が江戸幕府3第将軍である

徳川家光(とくがわいえみつ)を

招くために作らせた庭なんですね。


しかし崇伝は庭の完成まもなく、65年の生涯を閉じ

完成した鶴亀の庭を1度としてみることが無かったそうです

しかも・・・家光もついに訪れなかったそうです


あの世から

「家光は訪れてくれるの!!」

と嘆いていたかも知れませんね。


ちなみに鶴亀の庭は江戸時代初期を代表する

枯山水庭園と評価が高く

国の特別名勝に指定されています。


前面の白砂は海を表わすそうで

右側には巣篭もり中の鶴を表現した鶴島

鶴島

鶴島

そして

左側には海に潜ろうとする亀を表現した亀島

亀島

亀島

さらに鶴島と亀島の間に

仙人が住むという中国の蓬莱山(ほうらいさん)を

表現した石が配置されています。


その前には大きな四角い石の遥拝石があります。

ここから東照宮に遥拝していたようです

※遥拝とは、遠く離れた場所から拝む事です。


そしてこの金地院は通常の拝観とは別に

特別拝観というものがありまして

なんと!

方丈の中に入れちゃうんですよ。


決まった時間に係りの女性が

つきっきりで説明をしてくれますので

とっても贅沢な気分になれます


方丈の中には長谷川等伯(はせがわとうはく・桃山時代の画家)の

池に写った月に手を伸ばす猿を描いた

『猿候促月図(えんこうそくげつず)』や

『老松(おいまつ)』等が見れました~


また茶室・八窓席(はっそうせき)も見ることが出来ます。

窓が8つあるかと思う人もいるかもしれませんけれど

係りの人によると、実際は6つで

たくさん窓があるという意味で8という数字を使っているそうです。


ただ方丈内は写真撮影が禁止されていましたので

方丈内の写真はないんですよ~。


ご興味のある方は、是非金地院に

直接拝観しに行ってみて下さいね


そんな金地院の場所はコチラ↓


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