メモ2010-12-06
テーマ:神社

櫟谷七野神社

こんにちは京子です

さて、本日は「安産」「浮気封じ」としてご利益のある神社っ。

櫟谷七野神社の拝殿

櫟谷七野神社(いちいだにななのじんじゃ)です


安産に・・・浮気封じ・・・

(・∀・)ノ女性にはなんとも気になる神社ですよね~っ。


さて、こちらの櫟谷七野神社のあった場所ですけれど

京都では紫野(むらさきの)という場所で

平城京から、平安京に都が遷都された当時

この地には「紫草」がという花が生えており

辺り一面、紫の草花で覆いつくされていたそうです。


それを天皇や貴族が身につけるものの「染料」として使われたり

桓武天皇を始め、狩の場にも使われていたと言われている場所なんですね

※聖徳太子が制定した冠位十二階(身分を12に分けた制度)では、分かりやすいように帽子(冠)に色をつけたんですよねそのトップの身分(クラス)が紫色だったのです。


櫟谷七野神社の石碑

さて、入り口には「櫟谷七野神社」の石碑がありますね~。

この「七野」という言葉はドコから来たの

かと言いますと

春日・伊勢・石清水・賀茂・平野・松尾・稲荷の七神を七ノ社とした事や

この付近の地名である

紫野・上野・柏野・北野・平野・蓮台野・内野をまとめて「七野」と呼び

その七野の神社の祭神を集めて祀った(合祀)神社である事から

名が付いたとも言われているんですね~


という事で

地名や、神社の由来が分かった所で


櫟谷七野神社の鳥居をくぐります

鳥居をくぐりま~す


早速、左手を見ますと・・・

櫟谷七野神社の祠(ほこら)

こちらは祠(ほこら)です。


中に神様を祀っているんですね。

これはお寺や神社にだけあるのではなく


京都では住宅街などでもよく、この祠を目にする事があるんですよね

近所の人が手を合わせていたり、お供え物をしていたりという光景を見ます


そして、この祠の石垣にも注目

アップで見てみると・・・

櫟谷七野神社の紋

紋!


これは家紋なんですね。

釘抜紋のようにも、四つ割菱の武田家の家紋のようにも見えますけれど

どうして、このような家紋の石があるのかと言うと・・・


室町時代に一度、櫟谷七野神社は荒廃してしまっているんですね。

織田信長、豊臣秀吉により再建されるんですけれど

その修復に参加した、大名の寄進印(家紋)が残っているんですね~。

つまり、石に家紋を入れる事により「ワシの所も修復に参加させてもらったよー!」というメッセージが込められているというワケなんです。これは神社だけでなく、お城の石垣などでも同じ事が言えるんですね。


さて、階段を少し登ったところに冒頭でアップした写真の

本殿があるのですけれど


その本殿前の階段、右手に

デデーンとその存在感を遺憾なく発揮しているのが・・・


櫟谷七野神社の鹿

鹿です

この鹿はどう関係しているのかと言うと??

春日・伊勢・石清水・賀茂・平野・松尾・稲荷の

七神(七ノ社)のうちの一つである

春日大神の神の使い=「神使(しんし)」が鹿なんですね


この櫟谷七野神社は

別名「春日神社」や「七野春日神社」「春日さん」とも呼ばれているのも

春日大神をこの櫟谷七野神社に祀った事によるものなんですね


ちなみに、安産のご利益の起源とは・・・

文徳天皇(もんとくてんのう)の奥さんである

藤原明子(ふじわらのあきらけいこ)が懐妊し

安産祈願の為に三笠山(奈良)から春日の大神をお迎えして祈願したところ無事に清和天皇を産む事が出来た事によるものなんですね~。


この文徳天皇と藤原明子は「政略結婚」とも言われているんですね。

そして、その2人の間に生まれた清和天皇が次の天皇となったのです。


ちなみに、この頃は子供が生まれれば

母方の家で育てるというのが

伝統でありルールでした


そんな清和天皇の外祖父(がいそふ・母方のおじいちゃん)であり

自分の息のかかった孫を育てあげたのが


この筋書きを建て、裏で手を引いた

藤原良房(ふじわらのよしふさ)

なる人物なんですね~


藤原明子のお父さんであります

清和天皇から見ればおじいちゃんですよね。


人臣、つまり皇族以外からの初である「太政大臣」そして「摂政」になった人物でもあります。


また、彼は他の有力豪族を失脚させ

藤原氏以外の力を削いでいきます。


いわゆる「他氏排斥(たしはいせき)」ですね。


櫟谷七野神社の春日大社の石碑

春日大社の石碑も建っています。


他氏排斥による出来事として

「承和の変」「応天門の変」があります。

この良房による承和の変が、藤原氏による他氏排斥の初めの事件と言われています。

その後、藤原良房は、摂政となります。


藤原氏による他氏排斥は、以後100年先まで続きます

菅原道真が左遷された「昌泰(しょうたい)の変」や

源高明(みなもとのたかあきら)が密告された「安和の変」がそれにあたります。


また、その間に「関白」という

それまでに無かった役職にも藤原氏は就任し

以後、摂関家として権力を握りました。


櫟谷七野神社の春日神社の神紋である「下り藤」

鹿の背中には春日神社の神紋である「下り藤」です。


その後、回りのライバルがいなくなった事により、

身内同士で争い始めその最後の勝者が

あの有名な句

「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」

と読んだ、藤原道長(ふじわらのみちなが)だったのです。


さて、お話は変わって

こちらのお寺は安産の他にもうひとつ・・・


「浮気封じ」のご利益がある事でも有名なのですけれど

これは宇多天皇の奥さんが

離れてしまった夫の愛を復活させて欲しいと

櫟谷七野神社にお祈りしたところ

「社殿の前の白い砂を三笠山の形に積んで祈りなさい」というお告げを受けたんですね。

その言葉通りに山を砂で作ったところ、宇多天皇の愛情が戻ったという故事によるもので、社殿の前に白砂を積むと「浮気封じ」の願いが届き、失われた愛の復活が叶うと言われているんですね。


この砂で積んだ山を高砂山と言い社殿前には幾つか見受けられます♪

男の人にとったらちょっぴり背筋が凍るかもしれませんね(笑)


櫟谷七野神社の菱形の家紋

こちらにも菱形の家紋を発見!寺院の石垣のところどころに広がっているそうですよ。


そして、最後に

この地には、平安時代から鎌倉時代にかけて、賀茂社に奉仕する

斎王の常の御所である

賀茂斎院があった場所でもあるんですね。


斎王って言えば京都三大祭りのひとつである

葵祭のヒロイン(斎王代)ですよねっ

※斎王代とはこの斎王の代わりをする事からそう呼ばれています。天皇の代わりに伊勢の神様にお仕えした、お姫様であり、天皇が即位する度、天皇の親族から選ばれた未婚の女性のことなのです。


その事から

葵祭で毎年、斎王代に選ばれる女性は

この櫟谷七野神社で初神事を行い、顕彰碑の前でお祓いを受けた、神前に献茶し参拝を行っているんですね~


そんな櫟谷七野神社の場所はコチラ↓


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