メモ2010-06-21
テーマ:お寺
関連:頼政忌 2012(平等院) / 関白忌 2015(平等院) / 

平等院

こんにちは京子です~

さて、本日は10円硬貨にも描かれ

世界遺産にも認定されている

約1000年の歴史をもつお寺!


平等院の10円風

平等院(びょうどういん)です

え?それってまさか

10円玉に書かれてる横長の建物の事

・・・と思っていらっしゃる方!


はい、そうなんです!

今すぐ、10円玉を財布から出して確認してみてくださーい


こちらの建物は平等院の

鳳凰堂(ほうおうどう)と呼ばれる

本堂です


どうでしょうか

ですよねですよね


では、本日はそんな平等院を取り上げたいと思います

平等院の石碑

京都は宇治市にある、この平等院ですが

政治を取り仕切っていた

藤原氏の一人、藤原道長(ふじわらみちなが)の

別荘であった「宇治殿」を、その息子である

藤原頼通(ふじわらのよりみち)が

1052年に寺院として創建したのが始まりです


え?でもどうして別荘からお寺に?

何か理由でもあったのかな?


と、誰しもが疑問に思うかもしれませんが

当時(平安時代後期)は「末法思想」というのが

流行ってたんですよね。

この平等院が出来た1052年という年は末法到来の年です。

貴族や僧たちは末法の到来を恐れていました。。

え?末法?って思いますよね?

この末法というのは

釈迦が亡くなってから、だんだん仏法が衰えて、仏法が滅び、天変地異が頻発するという仏教の思想の事なんです。

末法の時代に入ると、

もはや悟りを開く者はいなくなるとさえ言われていました。

この末法のはじまりの年に平等院を作ったわけですね。


そして、私たちが生きているこの時代も末法の時代です。

当時の人から見ると、今の世の中はどう写っているんでしょう??

仏教の信仰が及ばなくなり始め、天変地異も起こり・・・

いうなれば、末法思想そのもの結果が訪れているといっても

過言ではないですよね~


平等院の説明版

この平等院、とっても広く鳳凰堂を中心としてぐるーっと一周、見て回るとどんなに早くても1時間くらいはかかるんじゃないでしょうか?


平等院の正面入り口

こちらが正面入り口~!

そして、右手に・・・


何やら


視線を感じるな。。。と思ったら!


平等院の辻利右衛門像(つじりえもんぞう)

辻利右衛門像(つじりえもんぞう)

京都の宇治といえば、お茶・・・そう宇治茶です

宇治茶で有名な「辻利」の創業者である辻利右衛門です。


平等院入り口の周りには、この像の他にも

抹茶屋さんや、抹茶ソフトクリームのお店も多かったです


入って早速見えてくるのが

そうです、10円玉にも描かれている

平等院の鳳凰堂

鳳凰堂

そして、呼ばれる理由はコレにあります!

鳳凰堂の屋根についている・・・

平等院の鳳凰

鳳凰っ!

うーん、見事です

ちなみに、一万円札にプリントされているのも

この鳳凰です!

10円に、1万円札と・・・なかなかの人気ですね~鳳凰堂!


そして、この鳳凰堂ですが、

なんと中に入れるんですよね~

平等院の鳳凰堂から見た絶景

これが鳳凰堂から見た絶景

鳳凰堂の周りには阿字池が広がります


この鳳凰堂ですが、その名で呼ばれるのは江戸時代になってからだそうで鳳凰の他に、説としては「鳳凰堂の建物の翼廊や尾廊が羽を広げた鳳凰に見えるから」という説もあるようなのですが

その昔は、ここは「阿弥陀堂」という名前でした。


というのはこちらに

阿弥陀如来像があるからなのです


末法思想が貴族や僧侶の中にはびこっていた為、この阿弥陀堂を翌年の1053年に作り極楽往生を願ったとされています


そして、堂内には、阿弥陀如来像の他に

壁一面に「大和絵風九品来迎図」(やまとえふうくほんらいごうず)があり死者の徳に合わせて

9パターンのお迎えの様子が描かれています。


そして、他に雲中供養菩薩像(うんちゅうくようぼさつぞう)が安置されていて全部で52体ある内の半数がこの鳳凰堂内にあります。雲に乗ったこの菩薩像は各々、楽器を弾いたり舞を踊ったりと極楽浄土の様子を表しているといわれています。


じゃぁ、残りの雲中供養菩薩像はドコにあるの


と、言いますと

平等院の鳳翔館(ほうしょうかん)

こちらの鳳翔館(ほうしょうかん)に安置されており

ここは平等院に伝わる

様々な資料を保存、展示されている博物館なんですね~

平等院の博物館

中は、もちろん撮影禁止だったのですが

鳳凰堂の屋根に付いている鳳凰もじつはレプリカで

こちらの鳳翔館に本物が展示してあります

そして、その他には


平等院の梵鐘(ぼんしょう)

日本三名鐘の一つである、梵鐘(ぼんしょう)

こちら屋外に複製、鳳翔館にオリジナルが安置されています。

鳳凰や獅子、唐草などの繊細な模様が描かれていて

とっても美しい鐘。

ですが、その重量は


なんと約2トン!

とてつもなくハンパない重さです(汗)


平等院の観音堂

観音堂には法橋徳応のニ天像、不動明王像が祀られています。


さて、最後にご紹介するのが

平等院の頼政の墓地

頼政の墓地

よりまさ??


うーん、誰だろ

と疑問に持たれる方の為にご説明しますと


この方は、平氏が栄華を誇っていた時代(平安時代末期)に

それを気に入らないと思った

後白河天皇の皇子である以仁王(もちひとおう)が

「平家なんて邪魔だなぁ!朝廷に入ろうとしてるし!」

と思って

平家追討の令旨を出し

それに呼応した源氏の武士が源頼政(みなもとのよりまさ)なんです!


しかーし

その頼政が挙兵したと聞いた時、平清盛は自分の耳を疑ったと言います。

なぜなら、頼政は平治の乱(1159年)の時

簡単に言いますと、源氏と平氏がどっちが強いのかを決める戦いで

清盛留守を襲った源氏のやりように頼政は


「大義名分がない!」といい

平氏側についた源氏だったからです。


そんな彼を清盛はおおいに信用し重用しました。


ですので、

頼政が挙兵したという情報は信じられなかったといいます。


複雑な思いの中、平氏軍は

頼政をこの宇治平等院で自刃に追い込むのです


この一連の流れを以仁王の乱(1180年)と言います。


頼政はこの時、辞世の歌も残しています。

「埋もれ木の花咲くこともなかりしに身のなる果てぞ悲しかりける。」


平等院の扇の芝

「扇の芝」頼政は扇を敷いて自刃したと言われています。

その後、全国の源氏はあちこちで挙兵します。

源頼朝、源義仲、源義経など、これが源平合戦へと繋がりそのきっかけを作った人物が・・・この、頼政なんですね。


そんな平等院の場所はコチラ↓


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