今回ご紹介するのは

京都市上京区にある北野天満宮

(きたのてんまんぐう)の御旅所で行われた


ずいき祭 甲御供奉饌(かぶとのごくほうせん)

ずいき祭 甲御供奉饌(かぶとのごくほうせん)です!


ずいき祭は、北野天満宮の秋祭で

京都で一番早い秋祭といわれています


北野天満宮

北野天満宮


10月1日から5日間行われるお祭で
野菜を中心とした
約30種類の食べ物で装飾された
『ずいき神輿』を菅原道真
(すがわらのみちざね)に献上し
3基の鳳輦(ほうれん)や行列が
五穀豊穣を願い
氏子区域を巡行する祭なんです!


ずいき神輿

ずいき神輿


それぞれの日程を簡単にご紹介しますと

・1日目に神幸祭(しんこうさい)

・2日目に献茶会(けんちゃかい)

・3日に甲御供奉饌

・4日目に還幸祭(かんこうさい)

・5日目に后宴祭(ごえんさい)

となっているんですね~

※それぞれについて詳しくは、ずいき祭の日程一覧をご覧下さい。


そして今回ご紹介するのは
ずいき祭3日目に
北野天満宮御旅所で行われる
甲御供奉饌です


北野天満宮御旅所

北野天満宮御旅所


甲御供奉饌とは

御旅所にご鎮座している神様に

西ノ京七保会の方達による

甲(かぶと)の形にした供物を

お供えするというものなんですね~


その甲の形にした供物がコチラです


甲の形にした供物

甲の形にした供物


なんだか変わった形をしてますよね~?


お米をまーるく盛って
真ん中に花を挿し
生けられているような印象です


でもどうしてこんな珍しい

形になったんでしょうか?

気になりますよね


それには戦国時代まで

時間を遡る必要があります!


時は戦国時代の1527年(大永7年)・・・


阿波国(あわのくに)の

三好長基(みよしながもと:三好元長)が

京都に攻め入った際

それを食い止めようと

室町幕府(むろまちばくふ)第12代将軍

足利義春(あしかがよしはる)の管領(かんれい)

細川高国(ほそかわたかくに)と

桂川(かつらがわ)でぶつかり

『桂川原の戦い
(かつらかわらのたたかい)』

が起こります


その時、高国は
長基に敗れてしまうんですけれど
偶然京都にいた越前の守護
朝倉孝景(あさくらたかかげ:宗淳孝景)が
西ノ京の神人(じんにん)らと協力して
長基の軍勢を阿波に追い返したんですね

※神人とは、神社の神事や社務の補助、雑役等をする下級神職や寄人の事。


その事を将軍である義春が称え
3月3日と9月9日をめでたい日である
吉例(きちれい)の日に定めて
北野天満宮に甲の御供をしたのが始まりと
されているんですね


甲の御供

甲の御供


それ以降、西ノ京の神人は

3月と9月の年に2回、甲の御供を

安楽寺一之保御供社(あんらくじいちのほごくしゃ)で

作ってお供えしてきたというワケです

※一之保御供社は後に、安楽寺天満宮となっています。


1873年(明治6年)に

神人の御供所が廃止された事で

一時的に中断していたそうですけれど

1907年(明治40年)、旧神人らの

西ノ京七保会によって復興され

現在、毎年ずいき祭の3日目の10月3日に

甲御供奉饌が行われているんですね


祝詞奏上

祝詞奏上


お祭は午後15時頃から行われ
甲の御供がお供えされた中
約30分程でかけて
祝詞奏上(のりとそうじょう)や
玉串による拝礼である
玉串奉奠(たまぐしほうてん)等が行われ
お納めされます


神様は明日の還幸祭まで

この地に留まります!


御旅所では、神様が留まっている間

夜店が出て、地元の子供達が集まり

この辺りは賑やかになります


ご興味のある方は

足を運ばれてみてはいかがでしょうか♪


そんな甲御供奉饌が行われた

北野天満宮御旅所の場所はコチラ↓

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