こんにちは、京子です

さて、本日は・・・

あの牛若丸こと、源義経(みなもとのよしつね)が幼少の頃

修行を行った場所として知られているっ

鞍馬寺

鞍馬寺(くらまでら)です


さて、まず鞍馬寺もある、鞍馬山はどんな山なの


と、言いますと標高584mのこの山は

密教による修行が行われていたんですね。


そんな鞍馬山にたたずむ「鞍馬寺」を

本日はご紹介したいと思います

鞍馬寺の石碑

こちらの鞍馬寺は貴船神社にもほど近く

鞍馬寺をずーっと奥まで、道なりに歩けば、貴船神社に繋るそうですよ。

鞍馬寺のこま札

では早速、こま札をチェックしてみましょう


こちら鞍馬寺の始まりは?と言いますと

奈良時代、唐からやってきた

鑑真(がんじん)というのお坊さんがいたんですけど

彼の一番弟子である

鑑禎(がんてい)が

770年にこの地に草庵を作った事に始まります~


その後、朝廷に仕えていた

臣下のひとりである

藤原伊勢人(ふじわらのいせんど)が

伽藍を造営し現在に至るというワケなんですね。


さて、もちろん鞍馬寺は

鞍馬山の中にありますので・・・


鞍馬寺の石段

傾斜がスゴい


これは境内の中を回るだけでも、充分に足腰を鍛えられます★

ちなみに、こちら階段の先に見えますは

仁王門(におうもん)です。

明治期に再建されたものだそうですよ。


鞍馬寺の阿吽の虎(あうんのとら)

仁王門前には狛犬ではなく、虎!阿吽の虎(あうんのとら)と呼ばれています。


さて、仁王門を潜ると

右手に出てくるのは

鞍馬寺の普明殿

普明殿(ふみょうでん)

こちらの中から、乗り込めるのが・・・

え?

・・・乗り込める


(・∀・)ノそうなんです。

鞍馬寺では境内の一部が行き来しやすいようにケーブルカーが運行しているんですね!

※この事から鞍馬寺は宗教法人としては唯一の鉄道事業者でもあるそうですよ。

こちらに乗り込めば、多宝塔までラクラク行けるってワケなのです


ちなみに、普明殿は

ケーブルカーの発着口があるだけではなく

鞍馬寺や鞍馬山の模型(ジオラマ)があり

2階では写真展なんかもやってました♪


ケーブルカーに乗り込んでもOKですけど

京子は、自らの2本の足で歩いて行きたいと思います!

ガンバレ私っ。


仁王門、そして普明殿を後にして

次に見えてきましたのが

鞍馬寺の吉鞍稲荷社

吉鞍稲荷社(よしくらいなりしゃ)

があります

そして、その前に広がるのが

鞍馬寺の放生池

放生池(ほうじょういけ)

この池は読んで字の如く、生き物を放して逃がす池なんですよね~。

全国には「放生池」と呼ばれる池は多数存在していますよ。

鞍馬寺の放生池の滝

池は滝のようになっていましたよ~。


そして、その先には

鞍馬寺の鬼一法眼社

鬼一法眼社(きいちほうげんしゃ)があります。


さて、この鬼一法眼社に祀られています

鬼一法眼(きいちほうげん)という人

彼はスゴいんですよね。

武芸の達人であり、

陰陽師だったそうなんです。

室町時代初期に書かれた

「義経記」にも登場する人物で


義経は彼に武術を学ぼうとしますけれど


・・・断られちゃうんですね


さすが、天才。

なかなか簡単に人には教えないって事なんでしょうか。


鞍馬寺の鬼一法眼社の鳥居

鬼一法眼社の鳥居になります。


しかーし、そんな事で諦めない義経。

ちょっぴりズルい作戦に出るんですね(笑)


義経は、なんと鬼一法眼の娘さんに言い寄り

「ねぇ・・君のパパが持ってる・・六韜(りくとう)って兵書を持ち出してよ♪いいでしょ?持ち出してきてくれたら、もっと・・・遊んであげる♪」

なーんて口説き落としたんでしょう。


(・∀・)ノなんと見事に成功!

※義経は六韜を暗記し六韜兵法を極めたと言われています。

しかし、義経・・・

女の子を手玉にとるとは

幼少からジゴロですか(汗)

・・・えぇ、そうですか。


鞍馬寺の魔王の滝

鬼一法眼社の境内には

魔王の滝(まおうのたき)もあります。

昔はこの滝で修行するお坊さんの姿もあったのかもしれませんね


この滝が流れ出る上には小さな祠(ほこら)がありまして

そちらに魔王尊石像が安置されています!

放生池から魔王の滝までを護法境(ごほうきょう)と言うそうです。


そして、これらを抜けると・・・

先日、ご紹介した由岐神社が見えてくるというワケです!


由岐神社から先は何があるのかと言いますと

1分ほど歩くと見えてくるのが

鞍馬寺の川上地蔵堂

川上地蔵堂(かわかみじぞうどう)です。

剣術修業の傍ら、義経が手を合わせていたと伝えられ

ここには彼の守り本尊(生まれ年によって決まる本尊)が

祀られていたそうです。


その川上地蔵堂と向かい合って建っているのが

鞍馬寺の義経公供養塔

義経公供養塔(よしつねこうくようとう)

1940年に義経を偲んで建てられた供養塔です。


さて、さて。

牛若丸こと義経。


彼は幼少期、お母さんである常盤御前の元を離れる事となり

この鞍馬寺にやって来たのです。


つまり、母親の元を離れ、この鞍馬寺に出家したという事なんですね。


名前を牛若丸から、遮那王(しゃなおう)と名を変え

鞍馬山の自然に育まれ育った、遮那王こと義経は

ここで元気に10年間ほど勉学、兵法を学ぶ事となりました。


しかし、結果的に義経は僧になる事を考え直し

鞍馬寺を去る事となるんですね~


そして、義経公供養塔を過ぎますと

九十九折参道(つづらおりさんどう)と呼ばれる参道になります


このあたりの参道は一言で言いますと


ぐにゃぐにゃ~


三大随筆のひとつである

清少納言の書いた「枕草子」の中でも

この九十九折参道は語られ

「近うて遠きもの、くらまのつづらおりといふ道」という一文が残されています。

ぐるぐると曲がりくねった道なんですけど「年配の方はケーブルカーをお使い下さい」と鞍馬寺の方も案内するほどの道


そして、次に見えてきたのは・・・

鞍馬寺の双福橋

双福苑にあります、双福橋(そうふくばし)です。


橋の右と左に小さな祠がひとつずつあるのがおわかりでしょうか

この祠にはそれぞれ、「大黒さん」と「恵比寿さん」が祀られていて

橋をはさんで、横並びになっているんですね~。

ちなみに、こちらの鞍馬寺のある、鞍馬山なんですけど

どうしてこの名前がついたのかと、ちょっと調べてみるといくつかの説があるようで

ひとつが、「暗い場所を意味する」らしく

暗部・闇部(くらぶ)の読み方が鞍馬に転じたといわれていたり

他にも「馬の鞍がひっくり返るほどの急坂を意味する」という説もあり

「馬の鞍が返る山」⇒「馬鞍山」⇒「鞍馬山」

・・・となったなんて説もありました


では、引き続き鞍馬寺をご紹介しようと思いましたけれど

なんだか、またまたボリュームがいっぱい


実はこのお寺、なかなか広いのです

続きはまた明日っ!!!!

鞍馬寺の場所はコチラ↓


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