メモ2016-03-25
テーマ:お寺

長徳寺

今回ご紹介するのは

京都市左京区にある


長徳寺(ちょうとくじ)


長徳寺(ちょうとくじ)です!


長徳寺は、1605年(慶長10年)に
裏寺町(うらてらまち)に創建されたと
伝わる浄土宗の寺院です


開山は、万愚牛廊で

開基は摂津溝口領主の

長谷川宗仁(はせがわそうにん)と

伝わっているんですね


その後、火災にあって

焼失してしまったんですけれど

1672年(寛文12年)に現在地に

移ってきました


長徳寺山門

長徳寺山門


現在地のこの場所には、かつて
鴨川(かもがわ)と合流する
砂川(すながわ)があったそうで
当時、長徳寺は
正定院(しょうじょういん)
常林寺(じょうりんじ)とともに
『砂川の三軒寺
(すながわのさんげんでら)』
と呼ばれていたそうです


長徳寺の石碑

長徳寺の石碑


そんな長徳寺の山門前には
ピンク色のオカメ桜(オカメザクラ)があって
京都で大変有名なんですよ~


長徳寺のオカメ桜(オカメザクラ)

長徳寺のオカメ桜(オカメザクラ)


なぜかと言いますと・・・


一説によると、このオカメ桜
京都市内で最も早く咲く、早咲きの桜と
言われているからなんですね


開花がなんと

2月下旬くらいといわれていますから

これは相当早いです


オカメ桜


このオカメ桜は1947年(昭和22年)に

発表された栽培品種の桜で

花が下を向いているのが特徴です


イギリスの桜研究家である
イングラムが
寒彼桜(カンヒザクラ)と
豆桜(マメザクラ)を
交配させて作出したんですね


オカメ桜の説明書き

オカメ桜の説明書き


ちなみにオカメ桜の名前の由来は

福を呼ぶ面相として愛されている

『おかめ』のお面にちなんでいるそうで

日本の美女になぞらえて

名付けられたというワケです


地蔵堂

地蔵堂


そして山門の右手には、延命地蔵
(えんめいじぞう)とも呼ばれる
北向地蔵尊が安置される
地蔵堂があります


こちらのお地蔵さんは、かつて

百済(くだら:古代の朝鮮半島南西部にあった国)の

国王の守本尊(まもりほんぞん)であったといわれ

飛鳥時代(あすかじだい)の舒明天皇

(じょめいてんのう:第34代天皇)の頃

(在位期間629~641年)に

日本に伝わってきたというんですね

※守本尊とは、自分の身の守りに信仰する仏像の事。


長い間、宮中にあったそうなんですけれど

平安時代の823年(弘仁14年)に

西寺(さいじ)の守敏(しゅびん)に下賜(かし)されました。

※下賜とは、身分の高い人が身分の低い人に物を与える事。


その後、紆余曲折を経て

こちらに安置されたんですね


…と、このまま境内の中も

ご紹介したいんですけれど

非公開寺院となっていますので

中のご紹介は出来ません


長徳寺境内

長徳寺境内


けれど、境内墓地には
勤皇の志士である
小林良典(こばやしよしすけ)の墓が
ある事で知られているんですよ


小林良典は、江戸時代

五摂家のうちの1つ

鷹司家(たかつかさけ)の家臣で

幕末、ペリー来航以来

攘夷(じょうい)を主張した人物です

※五摂家とは、かつて摂政(せっしょう)や関白(かんぱく)を輩出した藤原家を祖とする家柄で、近衛家(このえけ)、九条家(くじょうけ)、鷹司家、二条家(にじょうけ)、一条家(いちじょうけ)の事。


その後、1858年(安政5年)に
『安政の大獄(あんせいのたいごく)』に
連座して、江戸(えど)に捕らえられ
遠島の刑(えんとうのけい)を
受けたんですけれど
江戸の獄中で病没したそうです。

※遠島の刑とは、島流しの事です。


ちなみに安政の大獄とは
江戸幕府が1858~1859年にかけて
尊皇攘夷派(そんのうじょういは)や
一橋派(ひとつばしは)の大名や公家
活動家ら100名以上を弾圧した事件です

※尊皇攘夷とは、天皇を尊ぶ思想と、外国人(夷狄(いてき))を攘(はら)うという攘夷思想が合わさった思想。


当時の大老(たいろう)である

井伊直弼(いいなおすけ)らが

日米通商条約(にちべいつうしょうじょうやく)を結んだ事や

将軍、徳川家定(とくがわいえさだ)の後継ぎを

徳川家茂(いえもち)にした事に

反対する者達を弾圧したんですね


という事で今回は

オカメ桜で知られる長徳寺をご紹介しました!


長徳寺の場所はコチラ↓



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