メモ2016-03-19
テーマ:お寺

深泥池地蔵

今回ご紹介するのは

京都市左京区の深泥池会館敷地内にある


深泥池地蔵(みどろがいけじぞう)


深泥池地蔵(みどろがいけじぞう)です!


深泥池地蔵は、平安時代

小野篁(おののたかむら)が冥土から蘇った際に

亡者を救っている地蔵菩薩の高徳を広めようと

木幡山(こはたやま・現在の伏見区にある大善寺あたり)の

桜の一木から彫った六体の地蔵のうちの1つです


地蔵尊と刻まれた石碑

地蔵尊と刻まれた石碑


その後、六体の地蔵は後白河法皇
(ごしらかわほうおう・第77代天皇)の
命を受けた平清盛(たいらのきよもり)が
西光法師(さいこうほうし)に命じて
都の入り口である街道の6ヶ所に
六角堂を建てさせ地蔵菩薩を一体ずつ安置し
祀ったといわれているんですね~

※詳しくは、京の六地蔵めぐり 2015の記事をご覧下さい。


京都の入り口にあたる場所それぞれに

地蔵尊を安置する事で

都に邪気が入ってくるのを防いだり

旅の安全をお願いしたというワケなんですよ


深泥池(みぞろがいけ、みどろがいけ)

深泥池(みぞろがいけ、みどろがいけ)


そして、深泥池の
鞍馬街道(くらまかいどう)には
深泥池地蔵が安置されました


深泥池地蔵の由緒書き

深泥池地蔵の由緒書き


けれど、お堂の由来書きによれば

その後、深泥池地蔵は明治初めの

廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって

賀茂社の神領外に追放され

後に上善寺(鞍馬口)(じょうぜんじ)に

移されたんだそうです

※廃仏毀釈について詳しくは、お別れ地蔵の記事をご覧ください。


深泥池地蔵は、上善寺に移ってから

『鞍馬口地蔵』と呼ばれるように

なったという事なんですけれど

一方で深泥池地蔵を失った

深泥池の村では、守護神がない為か

1869年(明治2年)と1883年(明治16年)に

震災に見舞われてしまったというんですね。

※上善寺について詳しくは、上善寺(鞍馬口)の記事をご覧ください。


村人の努力によって
復興の目処が立った頃
1895年(明治28年)5月
京五条の十念寺経由で
土木関係の西光組から新たに
地蔵菩薩が奉納され
2代目深泥池地蔵として地蔵堂に
安置される事となりました


2代目深泥池地蔵

2代目深泥池地蔵


2代目深泥池地蔵は
身の丈6尺3寸の立像で
こちらもまた小野篁作と
いわれています


その昔、伊勢の海に

漂流していたんだそうですよ。


2代目深泥池地蔵の御詠歌

2代目深泥池地蔵の御詠歌


そんな深泥池地蔵を安置する地蔵堂では

毎年8月22日と23日には

地蔵盆(じぞうぼん)が営まれています


こちらは境内に安置される

鎌倉時代から南北朝時代の頃に

造られたといわれる石仏です


石仏

石仏


もともとはここに7体の石仏が
安置されていたそうですけれど
先の大戦の最中、一部の町内役員が
防空壕の設置を理由に
移動させてしまったんだそうです


終戦後、その石仏の行方は

いまだわかっておらず幻の石仏となっています


という事で今回は

深泥池地蔵をご紹介しました


深泥池地蔵の安置される

地蔵堂の場所はコチラ↓



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