メモ2016-03-12
テーマ:その他

花尻の森

今回ご紹介するのは

京都市左京区の大原(おおはら)にある


花尻の森(はなじりのもり)


花尻の森(はなじりのもり)です!


花尻の森は、古くは『波那志里の杜』と書く

国道367号沿いにある花尻橋

(はなじりばし)の北東にある森で

江文神社(えぶみじんじゃ)境外末社である

源太夫社(げんたゆうしゃ)があり

御旅所(おたびしょ)でもあります


大原村社 江文神社お旅所と刻まれています

大原村社 江文神社お旅所と刻まれています。


一説によると鎌倉幕府を開いた
源頼朝(みなもとのよりとも)の命で
寂光院(じゃっこういん)に隠棲した
建礼門院徳子(けんれんもんいんとくこ)を
監視したという松田源太夫(げんたゆう)の
屋敷跡とも伝わっているんですね


鳥居

鳥居


ちなみに建礼門院徳子は、平清盛
(たいらのきよもり)の娘で
高倉天皇(たかくらてんのう:第80代天皇)に
入内(じゅだい)した後
安徳天皇(あんとくてんのう:第81代天皇)
となる言仁親王(ときひとしんのう)を
産んだとされる中宮(ちゅうぐう)です


1185年(元暦2年/寿永4年)の

壇ノ浦の戦い(だんのうらのたたかい)では

安徳天皇入水の後、自らも入水したと

伝わっているんですけれど

この時、源氏によって

海中より拾い上げられたそうで

一命をとりとめた後は、大原の寂光院で

隠棲したと伝わっているんですね


平家方の人間であった事から

源氏からの監視の目があったというワケです


源太夫社

源太夫社


さて、その監視役となった
松田源太夫の屋敷跡と伝わる
花尻の森には古くから『大蛇の尾』が
埋葬されているともいわれ
悲しい女性の話である『おつうの伝説』が
伝わっているんですね。


おつうの伝説とは・・・


その昔、大原に『おつう(於通)』という

美しい女性が住んでいたそうです。


おつうはある時、上洛の為に

この辺りを通りかかった若狭

(わかさ:福井県南部)の殿様に見初められ

嫁いでいく事となります


けれどしばらくして

おつうは病気になってしまい

殿様の心も離れてしまうんですね


おつうはその後、里に返され

悲しみのあまり、大原川の

女郎ヶ淵(じょろうがぶち)に

身を投げてしまいます


けれどその瞬間なんと!
おつうは大蛇に変貌


そして、再び若狭の殿様が上洛の為

大原に着ている事を知ると

大蛇の姿となったおつうは

花尻橋に差し掛かった辺りで殿様の行列を見つけ

そこに向かって襲いかかりました


けれど大蛇は、殿様のお付きの

侍の手によって一刀両断!

討ち取られてしまいます。


ちなみに大蛇を討ち取った人物が
松田源太夫であったともいわれています


その後、大原では不思議な事に

雷雨が毎日続いたそうで

時折、悲鳴のような声がどこからともなく

聞こえるようになったというんですね


花尻の森に安置されている石仏

花尻の森に安置されている石仏


里人達は、これを大いに恐れて
これは大蛇の祟りであると考え
大蛇の首は『乙が森』に
大蛇の尾は『花尻の森』に
埋めて供養をしたそうです


今でも大原の里にかかる朝もやは

大蛇の姿に棚引いているそうで

乙が森と花尻の森では毎年

藁で作った大蛇の頭、胴、尾を奉納し

乙の法要が営まれているんだそうですよ!


花尻の森の説明板

花尻の森の説明板


この話が『おつうの伝説』なんですけれど

実は、おつうの伝説には

いくつかのストーリーがありまして

現在では、様々な話が混ざり合わさったものと

考えられているようです


江戸時代の1702年(元禄15年)に編纂された
『山州名跡志(さんしゅうめいせきし)』には
夫を恨んだ京ナル女が大蛇の身となって
男を襲うという『大原物語』が
紹介されているんですけれど一説には
この大原物語が、おつうの伝説の元になる
お話ではないかと考えられているんですね


という事で今回は、おつうの伝説が伝わり

また、江文神社のお旅所でもある

花尻の森をご紹介しました


花尻の森の場所はコチラ↓