メモ2016-03-07
テーマ:その他
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京都の伝説 その9

今回ご紹介するのは

京都に古くからある伝説を

いくつかご紹介したいと思います


京都は、『魔界』と
表現する人がいるくらい
数々の伝説が各地に伝わっている
場所でもあるんですね


そしてそういった伝説は、うわさ話程度で終わらずに

能や狂言に取り入れられたりするものもあります


あなたの知らない京都が

まだまだあると思いますよ~


それでは早速、ご紹介していきましょう


大井神社の鯉明神(おおいじんじゃのこいみょうじん)


本殿(拝所)


場所:亀岡市大井町並河1丁目3-25


大井神社は、亀岡市大井町にある神社で

こちらの神使は『鯉』なんですね~


亀岡はかつて
『丹の湖(にのうみ)』とも呼ばれた
大きな湖だったんですけれど
ある時、国譲りの神で知られる
大国主命(おおくにぬしのみこと)が
水を吸い上げて平地にした事で
『丹の国(にのくに)』と呼ばれる国が
出来ました


この話を聞いた松尾に住む神々は

一度見てみたいと言って

亀に乗り、丹の国を目指して

川を上っていったというんですね


けれど途中、川の流れや勢いが増して

亀では川を上る事が出来なくなってしまったのです


困り果てた神々の前に登場したのが
『鯉』だったんですね~


鯉の額

鯉の額


鯉は「私の背中に乗って下さい!」と言って

見事に激流を駆け上り、神々を丹の国に

連れてやって来たといわれています


その後、神々はこの地に鎮座し

社が建てられる事となって

鯉は神使として崇められるようになったんですね


この伝説から神社のある亀岡市大井町では

鯉を食べたりとか、飼ったりする事はもちろんの事

触れたりする事も慎んでいるようです。


ちなみに子供の日の『鯉のぼり』も
掲げてはならないんだそうですよ

※詳しくは、大井神社の記事をご覧下さい。


御辰稲荷神社の福石(おたついなりじんじゃのふくいし)


御辰稲荷神社の福石大明神


場所:京都市左京区聖護院円頓美町29-1


御辰稲荷神社には福石大明神

(ふくいしだいみょうじん)をお祀りする

小さいな祠があるんですけれど

こちらには、ある不思議な話が残されているんですね


その昔、とても貧しい夫婦の奥さんが

「いつか我が家にも幸せが来ますように!」

御辰稲荷に百日祈願をしたそうです


満願の日、お参りが終わった彼女は

境内でウトウト寝てしまいました


どれくらい眠ったのかわかりませんけれど

彼女は襟首に冷たい風を感じて

ふと目を覚ますんですね


その時、彼女の右手には
1つの黒い石が握られていたそうです!


御辰稲荷神社の真黒小石

御辰稲荷神社の真黒小石


彼女は、この石を

「御辰稲荷が授けてくれた!」と思い

家に持ち帰り、大切に神棚にお祀りして

祈願したというんですね~


その後、彼女は娘を授かり
その娘がなんと!大名のお部屋様
(男児を産んだ側室の事)にまで
なったというんですよ~!


それによって貧しかった夫婦は

幸せに暮らせたといわれています

※詳しくは、御辰稲荷神社の記事をご覧下さい。


■鞍馬寺の大蛇退治伝説(くらまじんじゃのだいじゃたいじ伝説)


鞍馬寺


場所:京都市左京区鞍馬本町1074


鞍馬寺には、鞍馬寺の中興の祖といわれる
峯延(ぶえん)というお坊さんの
大蛇退治の話が伝わっています!


平安時代、峯延が

護摩修行を行っていた時

鞍馬の山から2匹のオスとメスの大蛇が

現れたそうなんです


峯延は、オスの大蛇を法力で見事に仕留め

もう1匹のメスの大蛇は

命を取らずに許したといわれています


その際、メスの大蛇には
鞍馬寺の本尊にお供えする
香水(こうずい)を絶やす事なく
守護する事を誓わせたそうです。


竹伐り会式

竹伐り会式(たけきりえしき)


鞍馬寺はこの話にちなんで

毎年6月20日に青竹を大蛇に見立て

『竹伐り会式(たけきりえしき)』

行われています

※詳しくは、竹伐り会式 2012(鞍馬寺)の記事をご覧下さい。


墨染寺の墨染桜(ぼくせんじのすみぞめざくら)


日蓮の銅像と桜


場所:京都市伏見区墨染町741


伏見区にある墨染寺の桜は

ある伝説から『墨染桜(すみぞめざくら)』

呼ばれています


平安時代前期、初代関白で知られる

藤原基経(ふじわらのもとつね)が

この地に葬られました


その時、彼の死を惜しんだ歌人

上野峯雄(かんつけのみねお)は

「深草(ふかくさ)の 野辺の桜し 心あらば
今年ばかりは 墨染めに咲け」

と詠んだそうです


つまり彼は
『深草に咲く桜よ。お前にも心があり
藤原基経が亡くなり悲しんでいるのであれば
今年くらいは、白やピンクではなく
墨染め(すみぞめ・墨で染めた色で、灰色の事)色に咲いてみよ。』
と言ったんですね

※喪の色と言えば、現在では白と黒ですが、その昔、平安貴族などは喪服には灰色のものが用いられたそうです。


すると不思議な事に深草の桜が

墨染めの色に染まったといわれているんですね~


という事で、今回は

京都に古くからある伝説を

ご紹介させていただきました