メモ2016-02-18
テーマ:お寺
関連:妙心寺 その1 / 退蔵院 / 桂春院 / 大心院 / 麟祥院 / 海福院 / 隣華院 / 妙心寺 その2 / 玉鳳院 / 霊雲院 / 龍泉庵 / 大法院 / 

天球院

今回ご紹介するのは

京都市右京区の花園(はなぞの)にある

妙心寺(みょうしんじ)の塔頭寺院


天球院(てんきゅういん)


天球院(てんきゅういん)です!


天球院は、妙心寺の48ある塔頭の1つで

『妙心寺四派(しは)』

『東海派(とうかいは)』の寺院です

※妙心寺四派とは、東海派、霊雲派(れいうんは)、龍泉派(りょうせんは)、聖澤派(しょうたくは)の事で、妙心寺の塔頭や末寺は、この4系統に分かれます。妙心寺の中興開山である雪江宗深(せっこうそうしん)の優れた4人の弟子それぞれが開祖となりました。


妙心寺北門から入って西側に位置する

場所にあるんですよ~


こま札

こま札


1631年(寛永8年)、姫路城城主であった
戦国武将、池田輝政(いけだてるまさ)の妹
天久院(てんきゅういん)が
江山景巴(こうざんけいは)を開山に迎えて
創建したと伝わっているんですね~


天球院と書かれています

天球院と書かれています。


ちなみに天球院という名前は

造営の際に地中から、いくつもの『球』

掘り出した事にちなんでの事なんだそうです


球が出てきた事が吉兆だと考えたワケですね!


さて、その天久院という人物

天久院と名乗る前は、どのような名前だったか

詳しくわかっていないそうなんですけれど

一時は、因幡国(いなばのくに:現在の島根県)の

若桜藩(わかさはん)初代藩主であった

山崎家盛(やまざきいえもり)の正室となっていました


家盛は、天下分け目の関が原の戦い

(せきがはらのたたき)の際

義理の兄、輝政の正妻となっていた

徳川家康(とくがわいえやす)の娘や

自分の側室と、その子供達を密かに

安全な場所に移したんですけれど

肝心の天久院の事を、ほったらかしにしていたんですね


いえいえ、それどころか
西軍の石田三成(いしだみつなり)の元に
自分の身代わりの人質として
天久院を差し出そうとしたといわれています!


「暗」と刻まれた石碑

天球院境内、「暗」と刻まれた石碑


当然、これには天久院も激怒しました!

だって、あまりにも扱いが違い過ぎますもの


天久院は、この時
離縁(りえん)を決意して
家盛の喉元に短刀を突きつけ
今回の酷い扱いを謝らせた後
城を飛び出し、当時、吉田城にいた兄
輝政の元へと戻るんですね


さて、そんな豪胆(ごうたん)な一面を見せた

天久院なんですけれど、実は彼女

豪胆なだけでなく、力の方も相当なもので

なんと『100人力の怪力』

持ち主だったと、いわれているんですよ~


「明」と刻まれた石碑

天球院境内、「明」と刻まれた石碑


ある時、吉田城に刀を持って暴れている

乱心者が現れたそうなんですけれど

その際、彼女は、袴(はかま)の裾(すそ)をまくって

頭に鉢巻(はちまき)を巻き

手には大長刀(おおなぎなた)という

勇ましい、いでたちで現れ

乱心者の前に仁王立ちで

立ちふさがったというんですね


乱心者は、あまりにも勇猛な彼女に慌てて
逃げ出したそうなんですけれど
それを彼女は追いかけて、手に持っていた
大長刀を車輪のように振り回し
バッサリと斬ってしまったそうです


また、吉田城で若い女性が化け猫に

何人も連れ去られる事件が相次いだ際にも

やってきた化け猫を素手で何度も殴り

返り打ちにしたと伝わっているんですね~

※これらの逸話は近世奇談集成の「老媼茶話(ろうおうさわ)」に掲載されています。


それではちょっと前置きが長くなってしまいましたけれど

天球院の中に入っていきましょう


山門

山門


こちらの山門をくぐると

長い参道があり、右手には庫裏(くり)があります!


庫裏(くり)

庫裏(くり)


庫裏というのは
お坊さん達が食事の支度等を
するのに用いられる
場所の事なんですよ~


その庫裏の前には、黄色い梅の花を咲かせる

黄梅(おうばい)がありました~


黄梅(おうばい)

黄梅(おうばい)


ちょうど見頃となっていたんですね~♪

他の参詣者の方もしきりに写真を撮っていましたよ


玄関

玄関


そしてこちらの玄関を通ると

そこには華頭窓(かとうまど:または、火灯窓)があります!


華頭窓(かとうまど:または、火灯窓)

華頭窓(かとうまど:または、火灯窓)


華頭窓というのは、禅宗の建築様式として
中国から伝わったもので
炎の形をしているのが特徴なんですね


けれど、『火』という字は

ちょっと縁起が悪そうなので

『火』の代わりに『華』という字を

当てているといわれています


そしてこちらが方丈になります。


南庭から見た方丈


方丈内には、京狩野
(きょうかのう)の祖といわれる
狩野山楽(かのうさんらく)や
その娘婿の狩野山雪(かのうさんせつ)が
手がけたと伝わる障壁画が
襖絵(ふすまえ)、杉戸絵(すぎどえ)等
152面もあるんですね~


方丈南庭

方丈南庭


ちなみに方丈内は写真撮影が

禁止となっていましたので看板の

『梅に遊禽図(うめにゆうきんず)』

を写真に撮りました


梅に遊禽図(うめにゆうきんず)

梅に遊禽図(うめにゆうきんず)


くねくねとS字型に伸びた梅の枝が特徴的ですよね


この他にも方丈には、3匹の虎と
1匹の豹(ひょう)が竹林の中に描かれた
『竹虎図(たけとらず)』や
朝顔と鉄線の花を描いた
『籬草花図(まがきそうかず)』等
金地に描かれた金碧障壁画
(きんぺきしょうへきが)が
たくさんありましたよ~


ちなみに竹虎図の中で

1匹だけ豹が描かれているのを

不思議に思いませんか?


ガイドさん曰く、これには理由がありまして・・・


当時、日本に虎がいなかった為

本物の虎を誰も見た事が無く

虎を描く際には、虎の毛皮を持ってきて

猫に被せて描いたといわれています


虎の本物を見た事が無いので
豹の毛皮を虎のメスのものと勘違いをし
虎のメスとして描いたというワケです!


こういった経緯を知った後で虎を見てみると

どことなく猫っぽい印象がしましたよ


その他、天球院には
血天井(ちてんじょう)がある事でも
知られているんですね


血天井とは、伏見城の遺構で

関ヶ原の戦いの前哨戦とも言える戦い

『伏見城の戦い(ふしみじょうのたたかい)』

で敗れた武士ら1200余が割腹をして果てた時に

残った血痕が染み付いた天井の事です

※血天井について詳しくは、京の血天井めぐりの記事をご覧下さい。


という事で今回は妙心寺の塔頭寺院である

天球院をご紹介しました


天球院の場所はコチラ↓

最寄の交通案内

 市バス 91・93系統 妙心寺前(みょうしんじまえ)


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