メモ2016-02-08
テーマ:お寺
関連:金閣寺(鹿苑寺) / 相国寺 / 大護摩供奉修 2012(金閣寺・不動堂) / 長得院 / 真如寺 / 

養源院(相国寺塔頭)

今回ご紹介するのは

京都市上京区にある相国寺(しょうこくじ)の塔頭寺院


相国寺塔頭の養源院(ようげんいん)


養源院(ようげんいん)です!


養源院という名前の寺院は

今回ご紹介する相国寺塔頭の養源院の他に

妙心寺(みょうしんじ)の塔頭の養源院

また、血天井で知られる東山区の養源院

実はたくさんあるんですね~


さて今回の相国寺塔頭の養源院

相国寺境内、南西に位置しています


養源院の庫裏(くり)

養源院の庫裏(くり)


室町時代の応永年間
(おうえいねんかん:1394~1427年)に
曇仲道芳(どんちゅうどうぼう)が
相国寺常徳院内に養源軒を設けて
退隠(たいいん:隠居)したのが
始まりとされているんですね~♪


曇仲道芳は、室町時代の1367年に

京都で生まれ、後に相国寺

空谷明応(くうやみょうおう)の

法の教えを継ぎました


詩文(しぶん)に大変優れた
人物であったようで
室町幕府第3代将軍である
足利義満(あしかがよしみつ)や
その息子の第4代将軍
足利義持(あしかがよしもち)の
特別な待遇を受けたそうですけれど
生涯、出世を望まず
座元以上の法階は望まずに
黒衣で通したとされる人物です


その曇仲道芳が1409年(応永16年)に亡くなると

東山区の百万遍(ひゃくまんべん)にあった

『長生軒』を塔所(たっしょ)として葬られたんですね

※塔所というのは高僧の死後、その遺骨や遺灰等を納めて、お祀りする墓所の事を言います。


その後、長生軒は『珍蔵軒』という名に改められ

常徳院内の旧隠居所を手本とし

養源院と称するようになったそうです


養源院境内の祠

養源院境内の祠


幕末の1868年に起こった
鳥羽伏見の戦い(とばふしみのたたかい)では
山内唯一の薬師如来像があるという事で
薩摩藩(さつまはん)の野戦病院となり
イギリス人の外科医ウィリアム・ウィリスが
通訳のアーネスト・サトウと共に訪れ
日本で最初のクロロホルムを使った麻酔を
行った場所でもあります


そういった事からか養源院境内には

薩摩藩士のものと伝わる刀傷が

残されているんですよ~


ちなみに養源院は普段、非公開の寺院で

今回『京の冬の旅 非公開文化財特別公開』

期間限定で特別公開されているんですね


それでは早速、中に入っていきましょう


山門

山門


こちらの山門をくぐって中に入ると
目の前には『多聞天(たもんてん)』の額が
掲げられた本堂があります!


本堂

本堂


ちなみに多聞天というのは

毘沙門天(びしゃもんてん)の別名の事ですから


という事は・・・


そうですこちらの本堂の中には

毘沙門天像を安置しているというワケですよ


毘沙門天像は写真秘仏で、撮影が禁止となっていたので

こちらは看板の写真です


毘沙門天像

毘沙門天像


毘沙門天像は、鎌倉時代に活躍した
慶派(けいは)の仏師作と伝わっていて
高さは約170センチあり
複数の木材を繋ぎ合わせて造られた
寄木造(よせぎづくり)で
左手に戟(げき)を持って
右手がくねった腰の上にあるのが特徴です!


ちなみに慶派というのは

覚助(かくじょ)を祖とする

平安時代末期から江戸時代にかけて

活躍した仏師一派の事で

名前に『慶』という字を持つ者が多い事から

慶派と呼ばれるようになりました


山門前の石碑

山門前の石碑。開運毘沙門尊天と刻まれています。


そんな毘沙門天像なんですけれど
実は長い間、その存在を知る者は
誰もいなかったんですね


その毘沙門天像が世に知られるようになった

ある不思議な逸話が残されています。


江戸時代、相国寺の近くに住んでいた

奈良屋与兵衛(ならやよへえ)という商人がおりました


なんでも与兵衛の夢枕に
3日にわたって毘沙門天像が現れ
「私を修復して、人々に参拝するように」
と告げられたというんですね


さすがに3日も同じ夢を見たら

与兵衛もただ事では無いと思いますよね。


そこで、辺りを探し出すと

なんとなんとこの毘沙門天像が

見つかったというワケです


ちなみに相国寺で毘沙門天像の法要が
行われた際には、江戸時代の奇才の絵師
伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)の
『釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう)』や
『動植綵絵(どうしょくさいえ)』が
初公開されたんだそうですよ♪

※伊藤若冲について詳しくは、伊藤若冲ゆかりの地巡りの記事をご覧下さい。


また、本堂には毘沙門天像の他に

ご本尊として薬師如来像が安置されています


コチラは本堂から隣の建物である

長生軒へと続く間にある坪庭(つぼにわ)です。


坪庭

坪庭


冒頭でご紹介した薩摩藩士による刀傷は
長生軒の柱につけられています!


刀傷は写真撮影が禁止となっていましたので

写真はありません


そして長生軒を抜けた先には書院の
『相和亭(そうわてい)』があるんですね~♪


書院の相和亭(そうわてい)

書院の相和亭(そうわてい)


書院『相和亭』は、藤原家を祖とし
関白を出す家柄として知られる五摂家の
筆頭である近衛家(このえけ)の
『桜御所』から移築したものなんだそうです。


書院の前には美しい池泉式庭園

(ちせんしきていえん)があり

そこに茶室『道芳庵(どうぼうあん)』

もあります


書院前の池泉式庭園

書院前の池泉式庭園


もちろん書院同様、庭園も茶室も

近衛家の桜御所から移築復元されたものですよ♪


という事で今回は、相国寺の塔頭寺院である

養源院をご紹介しました


京の冬の旅 非公開文化財特別公開は

2016年3月18日まで行われていますので

ご興味のある方は足を運ばれてみてはいかがでしょうか


養源院の詳しい場所はコチラ↓

最寄の交通案内

 京都市営地下鉄 烏丸線 今出川駅(いまでがわえき)