メモ2015-12-08
テーマ:お寺

遍照寺

今回ご紹介するのは

京都市右京区にある


遍照寺(へんじょうじ)


遍照寺(へんじょうじ)です!


遍照寺は、山号を広沢山という

真言宗御室派準別格本山の寺院で

平安時代の989年(永祚元年)に

花山天皇(かざんてんのう:第65代天皇)の勅願によって

寛朝(かんちょう)が創建しました

※一説によると、花山天皇ではなく、円融天皇(えんゆうてんのう:第64代天皇)であったとも。


護摩堂(ごまどう)に掛けられた広沢山と書かれた額

護摩堂(ごまどう)に掛けられた広沢山と書かれた額


もともとは、お寺の北に広がる
広沢池(ひろさわいけ)の北西
朝原山(あさはらやま:遍照山とも)麓に
あったそうで、そこにあった山荘を改めて
お寺にしたといわれているんですね


石碑

石碑


ちなみに広沢池は遍照寺創建の際に

庭池として造営されたともいわれ

創建当時、池の周辺には

壮大な伽藍(がらん)を構え

金色の観世音菩薩(かんぜのんぼさつ)を

お祀りする観音島(かんのんじま)や

多宝塔(たほうとう)、釣殿(つりどの)

八角堂等があり、観月の名勝としても

知られていたんですよ


広沢池。写真は12月の風物詩、鯉揚げで水が抜かれ状態。

広沢池。写真は12月の風物詩、鯉揚げで水が抜かれ状態。写真左の小高い山が朝原山。


それにしてもこの広い広沢池
庭にあるくらいですから
境内は相当の広さだったんでしょうね~


その後、寛朝が没すると

お寺は次第に衰えてしまったそうですけれど

鎌倉時代、後宇多天皇

(ごうだてんのう:第91代天皇)によって

復興されました


こま札

こま札


けれど1467年(応仁元年)に起こった

応仁の乱(おうにんのらん)で

焼失、廃墟となってしまうんですね


現在のお堂は
1830年(文政13年)に
舜乗(しゅんじょう)によって
復興されたもので
その時、現在地へと
移ってきたという事です


それでは早速、中に入っていきましょう


山門

山門


山門をくぐってまっすぐ歩いていくと

目の前に護摩堂(ごまどう)があります!


境内の様子

境内の様子


こちらの護摩堂の中には
ご本尊である十一面観音立像が
その右隣には赤不動明王坐像が
安置されているんですよ


護摩堂

護摩堂


2体は、奇跡的に応仁の乱で焼失を逃れた

仏像だったんですね~

※写真撮影が禁止されていたので写真はありません。


赤不動は、今では黒っぽい色に
なっていたんですけれど
当時は全身が真っ赤だったそうです!


護摩堂内の様子

護摩堂内の様子


ちなみに遍照寺の赤不動は
千葉県成田市にある成田山新勝寺
(しんしょうじ)のご本尊
成田不動尊と同じ木から造られた
一木二体(いちぼくにたい)の
霊像なんだそうです

※一木二体とは、1本の木から2体の仏像を造る事。


新勝寺の成田不動尊は

939年(天慶2年)に新皇(しんのう)を名乗って

乱を起こした平将門(たいらのまさかど)に

関係しています


ちなみにこの時の乱を『平将門の乱』と言います。

そのままでしたね。。。


そしてこの平将門の乱が無事治まるよう
祈願したのが寛朝でした。


境内の客殿

境内の客殿


寛朝は、朱雀天皇

(すざくてんのう:第61代天皇)からの

勅命を受けて不動明王を捧持(ほうじ)して

関東の地に行きます

※捧持とは、そろえた両手を胸の高さまで挙げ、捧げるように持つ事。


その地で不動明王像を安置し

護摩焚きを行って21日間祈願したそうです


そして祈願最後の満願の日に
俵藤太(たわらやとうた)こと、藤原秀郷
(ふじわらのひでさと)の射放った弓矢が
将門の首に刺さり、乱は治まったんですね。


その後、その地に不動明王を安置し

成田山新勝寺が開かれました。


遍照寺山門入って左手には

「成田と同じ・・・」と刻まれた

石碑が建てられています!


山門くぐった左手にある石碑

山門くぐった左手にある石碑


さて、この遍照寺には

いろいろな逸話が伝わっていまして

そのいくつかをご紹介したいと思います。


1つ目は、安倍晴明
(あべのせいめい)の逸話です


ある時、寛朝の誘いで遍照寺に

安倍晴明が訪れた時の事です


その際、寛朝は留守にしていたそうなんですけれど

遍照寺にいた若いお坊さん達が

晴明に式神(しきがみ)を使って

人を殺せるかを訪ねたところ、晴明は

「簡単には殺せないですが
まぁ力を入れてやれば殺せますね。
虫とかならすぐにでも殺せます。
しかし生き返らせる方法を知らないので
無益な殺生になってしまうから
しませんけどね。」

と答えたそうです


すると、若いお坊さん達は

「では、あの飛び跳ねていった蛙を
試しに殺してみてください。」

と言いました


それに対して晴明は

「罪な方ですね…
けれど私を試しているというのなら…」

と言って、1枚の葉っぱを手に取り

呪文を唱え葉っぱを投げると

なんと蛙は、葉っぱの下敷きになって

潰れて死んだそうです


これには若いお坊さん達も

恐れおののいたといわれています。


この晴明の話は
宇治拾遺物語(うじしゅういものがたり)や
今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)等
で見る事が出来ます。


客殿の前の十三重の石塔

客殿の前の十三重の石塔


また、2つ目の逸話は

遍照寺が、源氏物語(げんじものがたり)第4帖の

『夕顔(ゆうがお)』のモチーフに

なっているといわれているんですね


源氏物語第4帖の夕顔の土台になったと説明されています。

源氏物語第4帖の夕顔の土台になったと説明されています。


源氏物語の作者である

紫式部(むらさきしきぶ)20歳の頃

村上天皇(むらかみてんのう:第62代天皇)の皇子である

具平親王(ともひらしんのう)と

親王に仕える雑役の女性

大顔(おおがお)がお忍びで観月に出かけ

お月見を楽しんでいた時に

突然大顔が亡くなるという出来事が起こります


この具平親王と親王に使える女性
大顔の身分違いの恋は
源氏物語の主人公である
光源氏(ひかるげんじ)と
夕顔の身分違いの恋のモチーフに
なっているといわれ
大顔の突然の死を源氏物語では
夕顔が六条御息所
(ろくじょうのみやすんどころ)ともされる
生霊によって殺されるという
話になっているんですね


そして最後は、遍照寺の行事をご紹介します。


遍照寺は、8月16日の
五山の送り火の日に
広沢池で灯篭流しを行う事でも
知られています


広沢池灯篭流し

広沢池灯篭流し


鳥居形の写った広沢池

とっても幻想的で美しいんですよ!

ご興味のある方は是非!訪れてみて下さいね♪


という事で今回は遍照寺をご紹介しました!

遍照寺の場所はコチラ↓



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