メモ2015-06-18
テーマ:お寺

雲林院

今回ご紹介するのは

京都市北区の紫野(むらさきの)にある


雲林院(うんりんいん、うりんいん)


雲林院(うんりんいん、うりんいん)です!


雲林院は、大徳寺(だいとくじ)の

境外塔頭(けいがいたっちゅう)で

臨済宗のお寺なんですね


※塔頭とは、もともとは禅宗のお寺で師や高僧の死後に彼らの徳を慕い、お墓の周りに建てられた小さな院や脇寺(わきでら)の事を言い、境内にあるものを境内塔頭、境外にあるものを境外塔頭と言います。


こま札


かつて淳和天皇(じゅんなてんのう:第53代天皇)の

離宮であった紫野院(むらさきのいん)が

ベースとなっているんですよ


その紫野院を仁明天皇
(にんみょうてんのう:第54代天皇)
が受け継ぐと、869年(貞観11年)に
皇子だった常康親王
(つねやすしんのう)へ譲り
雲林院と名を改めたといわれています♪


その後、遍昭(へんじょう)というお坊さんが

千手観音を安置し、元慶寺(がんけいじ)別院として

天台宗のお寺に改めたんですね


けれど鎌倉時代に入ると

衰退し、荒廃してしまいました


1325年(正中2年)、雲林院の敷地に
大燈国師(だいとうこくし)で知られる
宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)によって
大徳寺が創建されると
雲林院も禅宗のお寺として
復興する事になります


臨済宗大徳寺派雲林院と書かれています。

臨済宗大徳寺派雲林院と書かれています。


このまま現代まで続くのかと思いきや・・・

その後、1467年(応仁元年)に起きた

応仁の乱によってお寺が焼失してしまいます


現在のお堂は、江戸時代に再建された

観音堂が残るのみのようです


説明書き


そんな雲林院なんですけれど
多くの文学作品に登場するお寺なんですね


例えば紫式部(むらさきしきぶ)が残した

『源氏物語(げんじものがたり)』

第10帖「賢木(さかき)」では

藤壺(ふじつぼ)に振られた光の君(光源氏)が

雲林院に篭ったという話が載っていたり

清少納言(せいしょうなごん)の

『枕草子(まくらのそうし)』では

祭の帰りの行列を見る為に雲林院の前に

車を止めたと載っているんです


余談ですけれど平安時代中頃

単に祭といえば葵祭(あおいまつり)の事を

指していたそうですよ~


※葵祭について詳しくは、葵祭関連行事一覧の記事をご覧ください。


この他にも
伊勢物語(いせものがたり)や
大鏡(おおかがみ)
今昔物語(こんじゃくものがたり)
平家物語といった
作品にも登場しているんですね


では早速、中に入っていきましょう


山門

山門


こちらの山門をくぐって左にあるのが

十一面千手観世音菩薩像を安置する観音堂です


観音堂

観音堂


江戸時代の1707年(宝永4年)に
再建されたもののようで
千手観世音菩薩像の他に
大徳寺開山大燈国師像も
安置されているそうです


そして観音堂の隣にあるのが


紫雲弁財天の祠


紫雲弁財天をお祀りする祠です!


その隣には遍昭の歌碑があり

歌碑には

「天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ
をとめの姿 しばしとどめむ」

と刻まれていました


遍昭の歌碑

遍昭の歌碑


これは小倉百人一首に載っているもので

空を吹く風よ
天女が帰る雲の中の通い道を閉ざしておくれ
天女の姿をもう少し地上に留めておきたいから

といった意味になるんだと思います


こちらは地蔵堂です。


地蔵堂

地蔵堂


というワケで今回は、雲林院をご紹介しました

境外塔頭といっても

大徳寺のすぐ近くにあるので

周辺に来られた際は

雲林院もセットで巡ってみてはいかがでしょうか


そんな文学作品に数多く登場する

雲林院の場所はコチラ↓