メモ2015-04-11
テーマ:お寺

良恩寺

今回ご紹介するのは

京都市東山区にある


良恩寺(りょうおんじ)


良恩寺(りょうおんじ)です!


良恩寺は

1564年(永禄7年)に

青蓮院(しょうれんいん)の浄清が創建した

浄土宗西山禅林寺派のお寺で

山号を華頂山といいます


石碑


初めのうちは
天台宗のお寺だったそうなんですけれど
後に粟田口の惣堂
(そうどう:地域の公共的なお堂)となり
念仏堂や上之堂(かみのどう)とも
呼ばれるようになったそうです


江戸時代中頃には

華頂山(お寺の裏にある東山三十六峰の1つ)にあった

火葬場を管理していたそうです


それでは早速、中に入っていきましょう!


庫裏


山門をくぐると右側に庫裏があり

左側に本堂があります。


本堂


本堂には

小野篁(おののたかむら)作と伝わる

ご本尊・阿弥陀如来(あみだにょらい)が

安置されているんだそうですよ。


そしてこの本堂の向い側にあるのが
引導地蔵(いんどうじぞう)と呼ばれる
お地蔵さんを安置している地蔵堂です

※ちなみに引導地蔵は伝教大師(でんぎょうだいし)最澄(さいちょう)の作と伝わっています。


地蔵堂


華頂山の中にあった火葬場を管理していた頃

葬列がこの地蔵さんの前を通る際に

極楽浄土へと行けるように引導を渡していた事から

このような名前で呼ばれるようになったと

いわれているんですね


引導地蔵

引導地蔵です。


さて、そんな良恩寺には寺宝に

天下人、豊臣秀吉(とよとみひでよし)から
賜ったと伝わる手取釜(てとりがま)が
あるんですね~


ちなみに手取釜というのは

茶道で使う鉄瓶(てつびん)の原型で

湯を沸かす際に用いる

注ぎ口のついた鋳鉄製の容器の事なんです。

※イメージしにくい場合は、ヤカンを想像して下さい。


その昔、侘び茶人の

粟田口善法(あわたぐちぜんぽう)という人物が

この近くに草案を営んでいたみたいで

たまに近所の人に手取釜を使って

お茶を振舞ったりしていたそうです。


ある時、秀吉は
善法の持っている手取釜が
大変な名器である事を知り
千利休(せんのりきゅう)を通じて
献上するように言ったんですね


けれど善法は

愛用の手取釜を献上しては

今後、どのようにお茶を飲んだらいいのかと

かなり悩み、ある行動に出るんですね!


皆さんならどうしますか~?


善法は悩みに悩んだ末
遂に「こんなものがあるからいけないんだ!」と
手取釜を割ってしまったそうですよ


善法はまさに命がけだったと思うんですけれど

秀吉もまさか、そんな貴重な手取釜を

割ってしまうとは思いませんよね


その後、この話を秀吉が聞くと

「これは悪い事をしてしまった・・・」と悔やみ

割れた手取釜の写しを2つ造らせて

1つは秀吉が自分の物にして

もう1つは善法にあげたといわれています


もうお気づきと思うんですけれど♪

この秀吉が造らせ善法にあげた手取釜が

良恩寺に残されているというワケです


献上しろといった釜が献上されないばかりか

割られてしまったのにもかかわらず

その写しの釜を作ってあげるなんて

秀吉もなかなか粋な事しますよね


そんな良恩寺の場所はコチラ↓


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