メモ2015-03-24
テーマ:お寺

本隆寺(本妙興隆寺)

今回ご紹介するのは

京都市上京区にある


本隆寺(ほんりゅうじ)


本隆寺(ほんりゅうじ)です!


本隆寺は

正式名称を本妙興隆寺(ほんみょうこうりゅうじ)

山号を慧光無量山(えこうむりょうざん)という

日蓮宗のお寺です


石碑


また京都十六本山の1つに数えられ

法華宗真門流の総本山なんですよ~

※京都十六本山とは、洛中二十一ヵ寺が無くなった後、再興された京都にある日蓮宗、法華宗の16あるお寺の事です。


創建は日真(にちしん)で
師匠であった妙顕寺(みょうけんじ)の
日具(にちぐ)と
法華経の解釈の違いから対立し
意見が合わなかったことから
1488年(長享2年)に
六角西洞院(ろっかくにしのとういん)に
草庵を営んだ事に
始まるみたいです


こま札


そんな日真が建てた本隆寺は

1536年(天文5年)に起こった

『天文法華の乱(てんもんほっけのらん)』

比叡山延暦寺の僧兵に焼き討ちに遭い

伽藍を焼失してしまいます

※天文法華の乱について詳しくは、常寂光寺の記事をご覧ください。


その時、日真は堺に逃れ

戻ってきた際に

土地が幕府のものになっていたので

1542年(天文11年)に

現在地でお寺を再建したそうですよ


せっかく戻ってこれたのに

土地が自分の物じゃなくなっているなんて

ショックですよね


ちなみに西陣にあるお寺や神社は
江戸時代に起きた
1730年(享保15年)の
西陣焼(にしじんやけ)や
1788年(天明8年)の
天明の大火(てんめいのたいか)で
燃えた所が多いといわれているんですけれど
ここ本隆寺の本堂、祖師堂、宝庫は
どちらの難も逃れ、燃えなかった事から
『不焼寺(やけずのてら)』
とも呼ばれているんですよ


これは鬼子母神(きしもしん)を祀っている事から

鬼子母神の霊験によって焼失を逃れたといわれ

その後、火伏せの鬼子母神として

信仰されているそうです


京都の経済に打撃を与える程の

大火から逃れられたんですから

ご利益は折り紙付きですよね♪


それでは早速・・・

中に入っていくんですけれど!?

本隆寺には、東と西と南の

3ヶ所の入り口があるんですね


どこから入ったらいいか

迷ってしまいそうなんですけれど

普段は南門は閉ざされているので

通常は東か西から入ります♪


南門

南門


ちなみに南門から入ると

ちょうど目の前に本堂があるんですよ。


本堂


本堂の中には

ご本尊である十界曼荼羅(じっかいまんだら)が

安置されているそうです。


こちらは本堂前にある千代野井(ちよのい)です!


千代野井(ちよのい)


この千代野井の名前の由来になっている
千代野姫(無外如大尼:むがいにょだいに)
という女性は、この地にかつてあった
景愛寺(けいあいじ)を
創建した人なんですね~


ちなみに彼女は

井戸に水を汲みにいった際

桶の底が抜けた事で悟りを開き

尼になったといわれているんですよ


こちらは本堂の左側にある


祖師堂


祖師堂です!


祖師堂の前には

夜泣止の松(よなきどめのまつ)と

呼ばれる松があります


夜泣止の松(よなきどめのまつ)


なんでも、この松の松葉を
枕の下に置いておくと
子供の夜泣きが止むと
いわれているんですね~


そしてこちらは

番神堂(ばんじんどう)です。


番神堂


番神堂には

毎日交代で国家を守護するとされる

30柱の神様である

三十番神(さんじゅうばんしん)をお祀りしています。


これは日本を代表する30の神様を

毎日当番に当てるように選んだ

神仏習合の信仰です


また境内の墓地には

江戸時代に刊行された地誌
『雍州府志(ようしゅうふし)』の
著者で知られる
黒川道祐(くろかわどうゆう)の
お墓がある事で知られています。


というわけで今回は本隆寺をご紹介しました

本隆寺の場所はコチラ↓


大きな地図で見る