メモ2014-11-19
テーマ:お寺

長栄寺

今回ご紹介するのは

京都市上京区の栄町(さかえちょう)にある

長栄寺

長栄寺(ちょうえいじ)です!


通常は非公開のお寺なんですけれど

『京都浄土宗寺院 特別大公開』で

特別公開されていた際に

拝観してきたのでご紹介したいと思います


ちなみに上京区の栄町は

長栄寺がある事から栄町というみたいなんですけれど

豊臣秀吉(とよとみひでよし)の時代

聚楽第(じゅらくだい)があった頃には

阿波殿町と呼ばれていたんだそうです。


これは阿波守(あわのかみ)であった

蜂須賀家政(はちすかいえまさ)の屋敷があった事から

阿波殿町と呼ばれていたみたいですよ


そして、長栄寺の墓地のあたりは

蜂須賀家政の屋敷の池跡と伝わっています。

家政については後ほどご紹介しますね。


浄土宗 長栄寺

さて、こちらの長栄寺は

1593年(文禄元年)に

鍋島家(なべしまけ)の一族である

長栄院という尼僧により創建したそうで

浄土宗鎮西派で知恩院に属しているそうです。

山号は竹谷山といいます。


竹谷山長栄寺

1788年(天明8年)の天明の大火の際に類焼し

焼失してしまったみたいなんですけれど

1792年(寛政2年)に再建されました。


けれど1853年(嘉永6年)に

再び燃えてしまったんだそうです


その時は本堂だけ残ったみたいで

安政年間(1854~1860年)に再建されたと言われています♪


では早速、中に入っていきましょう。


山門

山門をくぐると

右手には小さな祠がありました


魔除けの石が置かれている祠

写真ではわかりにくいかもしれませんけれど

祠の前にある石に

『石敢當(いしがんとう、いしがんどう)』と

刻まれているのがわかりますか


実はこれ

主に沖縄や鹿児島で多く見られるもので

本州では大変珍しいものなんですね~。


中国の福建省が発祥なんだそうで

魔除けの意味があるんだそうですよ


地蔵堂

こちらは地蔵堂です。

中には洛陽地蔵二十四ヶ寺廻の

10番目に数えられている

お地蔵さんが安置されています


都すずめ案内者

『都すずめ案内者(地誌)』によれば

こちらのお地蔵さんは


役行者作と言われるお地蔵さん

役行者(えんのぎょうじゃ・修験道の開祖)作のようなんですね。

※役行者については、祇園祭 役行者山(八坂神社)の記事をご覧ください。


そしてこちらが本堂です。

本堂

本堂にはご本尊である

阿弥陀如来像が安置されていましたよ。


また本堂には2枚の掛軸があり

掛軸に描かれている長栄院

描かれているのは長栄寺を創建した

長栄院なんだそうです


長栄院の像

長栄院の像です。


長栄院は佐賀藩の

一族の方という事なんですけれど

詳しい事はわかっていないんですね~


さて、ここで冒頭でご紹介した

蜂須賀家政について簡単ではありますけれど

ご紹介しますね


家政は徳島藩の祖といわれる人物で

父は秀吉の股肱の臣(ここうのしん・最も頼りとなる家臣)として知られる 蜂須賀正勝(はちすかまさかつ)です。

※蜂須賀正勝は、小六正勝(ころくまさかつ)としても知られています。


秀吉の墨俣(すのまた・現在の岐阜県)に

一夜で城を築いたという伝説(墨俣一夜城)を

聞いた事がある人も多いと思いますけれど

小六はその際の協力者として有名なんですよ。


そんな小六の息子である家政は

父に負けないくらいの人物で

『阿波の古狸』と称される程なんです


天下分け目の戦いである

関ヶ原の合戦で家政は

蜂須賀家にとって大恩のある

西軍(豊臣側)への参戦を断ります


そして秀吉から父に与えられた

阿波の国や徳島城をすべて返上し

出家したんですね。


これは大恩のある豊臣家に

弓を引くわけにはいかないという思いから

とった苦渋の策なんです


けれど自身の息子には

ちゃっかり東軍につかせていて

関ヶ原の合戦の功績として

再び阿波の国を与えられているんですね~


このあたりのバランス感覚が

『阿波の古狸』といわれる理由なんだと思います


ちなみに『京都浄土宗寺院 特別大公開』は

今年初めて行われた試みなんだそうですけれど

もしかすると来年も実施されるかも知れないので

気になる人はチェックを忘れないようにして下さいね♪


そんな長栄寺のある場所はコチラ↓


大きな地図で見る