メモ2014-06-16
テーマ:史跡

日本最初小学校柳池校の石碑

今回ご紹介するのは

日本で最初の小学校があった

日本最初小学校柳池校の石碑

「小学校のさきがけと 世にもはえある 柳池校 そのほまれをば 身にしめて いさやつとめん 我が友よ」と書かれています。

日本最初小学校柳池校(りゅうちこう)の石碑です!


実は日本で最初の小学校は京都だったんですね

その場所には日本最初小学校柳池校と書かれた

石碑が建てられていましたよ。


しかもこの柳池校のあった場所には

現在も御池中学校(おいけちゅうがっこう)があり

日本でおそらく始めての商業スペースも入った

建物となっているんですよ

※保育所や市役所の機能の一部、老人サービスセンター、そしてカフェやレストランが入っています。


ここで柳池小学校が出来た経緯を

簡単にご説明したいと思います


柳池校はもともと上京第二七番小学校といわれ

1869年(明治2年)の5月21日に開校しました。

のちに柳池小学校と名前を変えたんですね。

※その後、柳池小学校は柳池中学校になり統廃合を経て2003年に御池中学校として開校しました。


そしてこの柳池校の凄いところは

1872年の日本最初の近代的学校制度を定めた教育法令

『学制(がくせい)』よりも早くに作られているんですよ


つまり!

全国に小学校を作るという法律よりも先に

京都では小学校がすでにスタートしていたんですね~


さらに!

この時、京都に作られた小学校は

1年以内に64校も開校したんです。


しかも誕生した小学校は

京都に住む人々の意思で

お金を出し合って建てられたものだったんですよ


政府の指示で作られたものでは無く

京都の町の人々が自ら作った学校だったんですね。


かなり凄い事ですよね!


この時に作られた小学校は

全ての人間が平等に教育を受けられるという

今までの藩校には無いコンセプトを持っていたそうです。

※それまでの藩校は武士や町民が行く学校が分かれていました。


でもどうして京都で

全国に先駆けて小学校がスタート出来たのでしょうか


その理由はと言いますと・・・


明治に入り

事実上の東京遷都によって

京都の町はそれまでとは違い、活気を失っていたんですね。


そんな中、京都の人々は

「このままではダメだ!再び京都を活気ある街にしなくては!」

と立ち上がり

「有能な人材を育てよう!そのためには教育が必要だ!」

と思い立ったんだそうです。


つまり京都を再び活気ある街にするためには

人材育成が必要だと考えたんですね


そして京都府は

寺子屋を営む篤志軒(とくしけん)8代目の西谷淇水(にしたにきすい)が

1867年~68年に公立学校の設置を政府に言うと

初代知事である長谷信篤(ながたにのぶあつ)と

のちの2代目府知事となる植村正直(うえむらまさなお)らが

京都の街にもともとあった生活共同体である町組(ちょうぐみ)ごとに

小学校を作るというものを構想したと言われています。


その後、町組は番組(ばんぐみ)と改正され

三条通より北である上京に33

南である下京に32

合わせて65の行政区画を敷きました。


1番組に1小学校が作られ

64の小学校が作られる事となったわけなんですね

※2町組で1小学校の所があったために65では無く、64となったそうですよ。


ちなみにこの時の小学校建設費はどうしたのかと言いますと

京都府が1番組に800両を貸し出したり

京都の人々のかまど金(またはかまど銭)と呼ばれる寄付でまかなったりしたそうです

※ちなみに1885年に着工した琵琶湖疏水事業(125万円・当時の国家予算は100万円)でも、その工事費用の多くを京都市民が負担したんですよ。詳しくは、田辺朔朗博士像の記事をご覧ください。


また、学校運営には

小学校会社を作り、集まった資金を貸し付けて

その利子で学校経営するという非常にユニークなものだったんですね。


まるで銀行みたいな小学校ですよね

※当初は、警察署や消防署なども一緒になった複合施設だったそうです。


そして気になる授業の方はと言いますと

毎日午前6時から午後4時までとなっていて

基本的な休みも月に1日と15日の2回だけだったそうです!!


後は祇園祭など特別な日だけしか休みが無いという

今からは考えられない程ハードだったようですよ


昔の人からしたら

ゆとり教育が始る前のカリキュラムでも

かなり甘い時間割だったんですね


そんな日本最初小学校柳池校の場所はコチラ↓


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