メモ2014-06-03
テーマ:お寺

稱名寺

本日ご紹介するのは

亀岡市(京都市の北西)の西竪町(にしたつちょう)にある

稱名寺

稱名寺(しょうみょうじ)です!

※稱名寺は浄土宗のお寺で知恩院派に属しています。


浄土宗最勝山圓鏡院稱名寺と書かれた石版

始まりは、1611年(慶長16年)

袋中上人(たいちゅうしょうにん)が

琉球より帰国した後

篠町山本(しのちょうやまもと・亀岡市)にある天台宗の廃寺に草庵を建て

浄土宗の布教をしたのが

始まりと伝わっています


ちなみに布教をする前には

日本最古の黒招き猫として知られる

壇王法林寺(だんのうほうりんじ・京都三条)の再興をしていたそうですよ


説明板

稱名寺はその後、1643年に

現在の場所に移されたと言われています。


創建当時は末寺6ヶ寺の本寺だったようですけれど

明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)等によって

末寺は常福寺の1ヶ寺のみとなったそうです

※廃仏毀釈について、詳しくは泉涌寺 その1の記事をご覧下さい。


また稱名寺の歴代住職は紫衣(しい、しえ)を被着できる勅許を 頂いていたんだそうですよ!

※紫衣とは、高位・高僧のみが身に付けられる紫色の服です。


では、さっそくレポートしていきましょう♪


左甚五郎による彫刻

こちらは塀(境内の外で鬼門の方角)にあったものなんですけれど

江戸の名匠の代名詞になっていた

左甚五郎(ひだりじんごろう)の作と伝わっている

厄除けの彫刻なんだそうです


境内へと続く山門は

山門・薬医門

薬医門(やくいもん)といって

主に公家や武家屋敷の正門などに

使われるタイプの門の種類なんです。


屋根が鏡柱から控え柱までを

全部覆っているのが特徴なんですよ。


ちなみに山門は

1698年に建てられたものだそうで

亀岡市内では最古の山門と言われています


山門をくぐると右手にあるのが


鐘楼

梵鐘は高さ145センチ、直径85.5センチ、重さはなんと800キロ


鐘楼(鐘つき堂)です!


こちらは1748年(延享5年)に創建されたもので

2013年には、創建以来始めての

解体修理が行われたそうですよ。


写真では見にくいかもしれませんけれど

梵鐘には4つの穴が空いているんですね。


これは第2次世界大戦中に

金属資源が不足した事から

政府により回収された際

軍事工場で検査された時に付いた

跡なんだそうですよ

終戦後、無事に戻ってきたというわけなんですね~♪


そして山門からまっすぐ正面には

本堂

本堂がありました。


本堂にはご本尊である

阿弥陀如来様が安置されているんだそうですよ。


庫裏だと思います。

庫裏だと思います。


そして稱名寺にはある人物の

お墓と伝わるものがあるんですね~


それがこちら!

五重宝篋印塔

和泉式部(いずみしきぶ)の墓と伝わる

五重宝篋印塔(ごじゅうほうきょいんとう)です


和泉式部は恋多き女性であった事から

恋愛成就のご利益があると信じられ

お参りに訪れる人もいるみたいですよ♪


和泉式部について簡単にご説明しますと・・・


源氏物語で有名な紫式部(むらさきしきぶ)から

「恋文や和歌は素晴らしいが、素行には感心できない」

と言われたり・・・


藤原道長(ふじわらのみちなが)から

「浮かれ女」

と扇に書かれたり・・・


当時の有名人の間で話題に上るほど

男性と浮名を流した人なんです!

つまりモテにモテたというわけなんです

※藤原道長は平安時代にもっとも成功した人で、彼の別荘(宇治殿)を寺院とした平等院は有名ですよね。


平安時代には彼女のように

恋に生きた女性は数多くいたと言われています。


ちなみに和泉式部が関係を持った男性は

わかっているだけでも

10人程の名前があがるそうですよ。


平安時代、女性がモテるために必要な条件は

顔よりも和歌!和歌が上手じゃないと

ダメだったんですね~


現代風に言いますと

イケ面やイケ嬢ではなく

イケ和歌でしょうか


彼女は当時から

天才!と言われた人物ですから

公家達の間でも、当然注目の的でした


どの位の実力だったのか

言葉で説明するのは難しいのですけれど

道長の書いた扇に直接

「ほっといてよ!」

という内容の和歌を返したといわれ

当時の権力者であった道長に対しての

その様な態度も許されるほど

彼女の和歌の実力は周囲に認められていたんですね


そんな彼女の和歌が百人一首に載っています。


「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に

 今ひとたびの 逢ふこともがな」


自らの死を予感した際に詠んだとされる歌で

「死んでしまう前に愛する人に、今もう一度会いたい」

という意味なんだそうですよ。


恋多き女性だった和泉式部に

死ぬ直前にもう一度会いたいと思わせた

人物はいったい誰だったんでしょうか!

気になりますよね

※和泉式部について詳しくは和泉式部ゆかりの地巡りの記事をご覧下さい。


ちなみに和泉式部のお墓と伝わるものは

日本全国で21ヶ所あると言われ


和泉式部のお墓

こちらは誠心院にあった彼女のお墓です。ちなみに和泉式部が初代住職を務めた京都市内のお寺『誠心院』にもお墓があります


これは和泉式部の伝説を語った

女性達のお墓なども混じっているからなんだそうです。


お墓の下からは

髪の毛が出てきたという話もあるそうですよ。


この五重宝篋印塔はもともと

東別院町小泉(亀岡市)の清泉寺(せいせんじ)から移されたようで

いつ頃こちらに移ってきたのかはわかっていないそうです。

※一説には、和泉式部と橘道貞(たちばなのみちさだ・最初の旦那)の間に出来た娘『小式部内侍(こしきぶのないし)』のゆかりの地が東別院小泉と言われています。


そんな恋多き乙女

和泉式部のお墓がある稱名寺の場所はコチラ↓


大きな地図で見る


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