メモ2014-05-23
テーマ:お寺

上善寺(千本今出川)

今回ご紹介するのは

上京区の千本今出川にある

上善寺

上善寺(じょうぜんじ)です。


え?上善寺・・・?

以前に紹介したことあるんじゃないの~

なんて思われた方もいるかも知れませんね♪


いつも、このサイトをよく読んで頂いて

ありがとう御座います


以前ご紹介したのは

鞍馬口にある上善寺なんですけれど

もともとは今回ご紹介する

今出川の上善寺の場所にあった

お寺だったんですね。


・・・

今も上善寺があるのに

同じお寺が分かれちゃったの??

と、はてなマークがたくさん、ついてる方もいると思いますので

ご説明しますと・・・

天台宗 眞盛派 上善寺と書かれた石碑

今出川の上善寺は天台宗のお寺で

山号は千松山(せんしょうざん)といいます。


863年(貞観5年)遣唐使(けんとうし)として

唐にも渡った事のある高僧

慈覚大師(じかくだいし)円仁(えんにん)が

天台宗の道場を建てたのが

始まりと言われています


その後、文明年間(1469~1487年)に

春谷盛信(しゅんこくせいしん)が

天台真盛宗(てんだいしんせいしゅう)として

再興するんですけれど

この時に、お寺の名前も上善寺となったそうですよ。


しかし1594年(文禄3年)に

豊臣秀吉(とよとみひでよし)の京都都市計画によって

鞍馬口の場所に移転となりました。


はいストーップ


この鞍馬口の場所に『移転した』というところに注目です


実は、創建当初のお寺は

上善寺(鞍馬口)

鞍馬口にある上善寺

鞍馬口に移転しちゃったんですね!


で、その跡地になんと

また作っちゃったんです上善寺!!


えっ!そんな!!

と思うかも知れませんけれど

嘘のようで本当の話なんです


こんな事もあるものなんですね~

というわけで、上善寺が2つあるんです!

※ちなみに鞍馬口の上善寺は浄土宗に改宗しています。


では早速レポートしていきましょう♪


まず山門をくぐって左手に見えるのが

大師堂

大師堂です!


大師堂には左から

元三大師(がんざんたいし)

三天合体大黒天(さんてんがったいだいこくてん)

毘沙門天(びしゃもんてん)

が安置されているんですよ


元三大師は

天台宗の中興の祖と言われる人で

『おみくじ』を作ったお坊さんなんです。

※詳しくは、紫式部(むらさきしきぶ)の邸宅跡として有名な廬山寺 その1の記事をご覧下さい。


三天合体大黒天は、漢字に注意なんですけれど

三面ではなく三天なんです!


三天合躰大黒天と書かれた石碑

山門の右手にある石碑


三天という所が非常に重要で

三天合体大黒天とは

弁財天、毘沙門天、大黒天の三天が

1つに合わさっているものなんですね~


見た感じの印象としては

頭は弁財天で

服は毘沙門天で

袋を持ってるところは大黒天

といった感じだと思います


つまり!変わったお姿をした大黒さんなんですね~


通常は非公開なんだそうですけれど

大黒さんの縁日(甲子の日)の日に

見ることが出来ます。

※甲子の日(きのえねのひ)とは、日付を十二支に当てはめた日の事です。


毘沙門天は

『武神』とされる荒々しい神で

上杉謙信なんかは自分の事を

「毘沙門天の化身である!」と言ったそうですよ。


石仏

大師堂の左には石仏がありました。


そしてこちらが本堂になります。

本堂

ご本尊には阿弥陀如来を安置しているそうです。


本堂には山号である

千松山の額

千松山の額がかかっていましたよ


三羽雀が描かれた瓦

三羽雀が描かれた瓦


ちなみにこちらの上善寺はある人物に

ゆかりのあるお寺だったりするんですね~


そのある人物と言うのが

赤穂浪士討ち入り事件でお馴染み

大石内蔵助(おおいしくらのすけ)・・・!


ではなくて彼の山科での妾だった

お軽です

※お軽は於可留、可留とも書かれますが、お軽で統一します。


ちなみに忠臣蔵(ちゅうしんぐら)は

江戸時代に起きた

『赤穂浪士討ち入り事件』を元にした演目ですよね。


元禄15年、12月14日に

大石内蔵助良雄(おおいしくらのすけよしお)以下

四十七士が、吉良邸へ討ち入りをしました。

※赤穂浪士討ち入り事件に関して、詳しくは山科義士まつり 2010(大石神社)の記事をご覧下さい。


その内蔵助の妾であった

お軽のお墓が

お軽のお墓

お軽のお墓。墓石の中央に父、左に母、右がお軽で『清誉貞林法尼』とあります。

境内奥にあります。


こちらは墓地の入り口手前にある地蔵堂です。

地蔵堂

火防地蔵尊が安置されいて

お正月と地蔵盆の日には中が見れるそうですよ


お軽は

京都の二条寺町の二文字屋次郎衛右門の

娘で本名はお梶(かじ)であったとも言われていますけれど

詳しい事はわかっていません。


しかし大変な美人だったと言われています


仇討ちを考えていた内蔵助は

討ち入りを悟られない為に

妻の『りく』を離縁した後

京都の花街(島原など)へ赴くようになります。


しかしあまりにも遊びまわっているので

同士であるの進藤源四朗(しんどうげんしろう)が心配して・・・


「側女をあてがえば遊びも収まるんじゃないか?」


と考え、当時18歳だったお軽を世話したんだそうですよ。


その後、いよいよ内蔵助が

江戸に旅立つ事になるわけなんですけれど

その際お軽には、金銀を渡して

実家に帰るように言ったそうです。


こちらは地蔵堂の左にあるお稲荷さんで

高倉稲荷大明神

高倉稲荷大明神を祀っているようです。


お軽は29才の若さで亡くなったと言われているんですけれど

瑞光院の資料によると

内蔵助の男の子(幼名を石之助、その後、大石良知)を産んだという話もあるんですよ


そんな上善寺の場所はコチラ↓


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