メモ2014-04-08
テーマ:お寺
関連:お火焚き祭 2012(本満寺・妙見宮) / 

本満寺

本日、ご紹介するのは

本満寺(ほんまんじ)です。

京都御苑の北東へ300mほど行った所にあります。


本満寺

こちらは本堂です。


本満寺は、日蓮宗のお寺で

正式名称を広宣流布山(こうせんるふざん) 本願満足寺と言います

本尊には十界大曼陀羅(じっかいだいまんだら)を祀っています。


本山 本満寺と書かれた石碑

日蓮宗の16ある本山の1つなんですね。


室町時代の1410年(応永17年)に

近衛道嗣(このえみちつぐ・公家)の子である

玉洞院日秀(にっしゅう)上人により創建されたと言われています。


もともとは

今出川新町辺り(現在の京都御苑北西近く)にあったそうなんですけれど

1536年の天文法華(てんもんほっけ)の乱で

お堂は全て焼失してしまうんですね

※天文法華の乱とは日蓮宗の不受不施派(ふじゅふせは)と延暦寺の間で起こった宗教戦争の事です。詳しくは常寂光寺の記事をご覧下さい。


ちなみに今でも今出川新町には

元本満寺町という町名が残っているんですよ


その後どうやって現在の場所に

移ってきたのかと言いますと

諸説あるみたいなんですけれど


天文法華の乱後

近衛尚道により再興したようで

おそらく豊臣秀吉の都市計画事業であった

寺町通りを通すときに

本満寺も現在地に移ってきたのだと思います


では早速レポートしていきましょう!


西山門

西山門


まずはこちらの山門をくぐります。


こちらの山門は西山門というそうで

なんと京都御所から寄贈されたものなんだそうですよ


京都御所から寄贈されるなんて

凄い事ですよね~


ちなみに境内は桜の季節と言うこともあって

桜が咲いていました。


今は散ってしまってますけれど

寺務所前には枝垂れ桜があり

とっても有名なんですね~

来年は是非とも満開の時期に訪れてみようと思います


それにしても京都はどこに行っても

桜が植えてあるので

春の訪れが毎年待ち遠しくなりますよね


山門をくぐって

まっすぐ歩いて行くと


七面堂

七面大明神を祀る七面堂があります。


そしてさらに進みますと

本堂の脇にあたる場所に

蓮乗院(れんじょういん)の石廟がありました。

※蓮乗院は秀康(ひでやす・徳川家康の次男)の正室です。


蓮乗院の石廟と桜の木

桜の木があってとても綺麗ですよね


そして、先ほどもご紹介した本堂を別の角度から

本堂と桜

撮ってみましたよ~


ちなみに本満寺には

国の重要文化財に指定されてる

『紺紙金字一字宝塔法華経(こんしきんじいちじほうとうほけきょう)・観普賢経9巻』が あるそうです。


廣布山と書かれた額

廣布山と書かれた額


さらに本堂の奥へと進んで行くと

墓地が広がっているんですけれど

こちらにも桜の木があり


満開の桜

満開でした


ちなみに本満寺の墓地には、

ある戦国武将のお墓があるんですね。


その武将の名前は・・・


石碑

山中鹿之介(やまなかしかのすけ)です!

※山中幸盛(ゆきもり)や山中鹿介とも言いますが、山中鹿之介で統一します。


彼は『山陰の麒麟児』というあだ名の持ち主で

尼子十勇士(あまごじゅうゆうし)筆頭に数えられるほどの

猛将として有名なんですよ

※尼子十勇士とは、尼子氏再興に尽くした勇士10人の事です。


山中鹿之介のお墓

こちらがお墓です。


ちなみに現在、放送中のNHK大河

軍師 黒田官兵衛でも

先週登場していました

※黒田官兵衛について詳しくは、黒田如水邸跡の記事をご覧下さい。


さて山中鹿之介について簡単に

ご紹介しますと・・・


戦国大名である

尼子氏に仕えた家臣なんですけれど

なんと、毛利氏によって

尼子氏は滅ぼされてしまうんですね


その後、山中鹿之介らは

尼子勝久(あまごかつひさ・武将)を担いで

尼子家再興を目指します。


山中鹿之介の人生はまさに尼子家再興の為に

費やしたといっても過言ではないんです!


そんな彼の有名なセリフは

「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」というもの。


えっ?

苦難や苦しみが欲しい人って・・・

もしかして、そっち系の人

と思うかも知れませんけれど


これは自分を甘えさせないために

言っていたセリフなんだそうです。


上月城(こうずきじょう)に立て篭もったときに

毎晩、月に向かって言っていたそうですよ


尼子家再興に人生の全てをかけていたんですね~


そんな山中鹿之介の話は

戦前までは結構、美談として語られていたそうで

歴史上の人物達からも評価が高いんですね。


勝海舟は

「ここ数百年の史上に徴するも、本統の逆舞台に臨んで、従容として事を処理したる者は殆ど皆無だ。先づ有るというならば、山中鹿介と大石良雄であろう」

板垣退助は

「私は常に山中鹿之介なるものを愛するのであります。彼は尼子の忠臣でありまして、尼子の衰運回復すべからざる時に、身を致して顧みなかった男であります」

いったそうですよ。

※その後、山中鹿之介がどうったのかは大河の放送もありますのであえてここでは書かないようにしますね♪


妙見宮

こちらは西山門手前にある妙見宮で、妙見菩薩が祀られています。


そんな歴史上の偉大な人物から評価の高い

山中鹿之介のお墓がある本満寺の場所はコチラ↓


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