メモ2014-02-19
テーマ:お寺

明王院不動寺

本日ご紹介するのは

明王院不動寺

明王院不動寺(みょうおういんふどうじ)です。


名前からもわかるとおり

ご本尊に不動明王が祀られているんですね。


この明王院不動寺は

松原通り(まつばらどおり)にあることから

『松原不動』とも呼ばれています

※場所は松原通りと麩屋町通り(ふやちょうどおり)の交差点にあります。


地元の方には

『松原のお不動さん』

として親しまれているそうですよ。

※この辺りを石不動町といい、地名の由来にもなっています。

説明板

松原通りはもともと

五条松原通りと呼ばれ

昭和時代、京都一長い商店街

『松原京極商店街』として

随分繁栄していたそうです。

※松原という名前は平安時代、この辺がうっそうとした松林だったからだそうです。


かつては祇園祭の山鉾も

巡行していたんですよ

※祇園祭について詳しくは、祇園祭の日程一覧の記事を、山鉾巡行については、祇園祭 2012 山鉾巡行(四条堺町・四条麩屋町・新町御池)の記事をご覧下さい。


その後、五条松原通りは

秀吉の都市計画により

松原通りとなりました。


弁慶と牛若丸のお話に出てくる橋は

現在の松原橋の事だったんですね

※弁慶と牛若丸について詳しくは、五條天神宮の記事をご覧下さい。


こま札


さてお話を戻しまして

この明王院不動寺は691年

持統天皇(じとうてんのう・第41代天皇)の頃

道観大徳(どうかんだいとく)により開基され

もともとは法相宗(ほっそうしゅう)のお寺だったそうですよ。

※法相宗は南都六宗(なんとりくしゅう・奈良時代に栄えた6つの宗派)の1つです。


しかしその後、弘法大師空海が

自作の石仏不動明王を安置したのをきっかけに

真言宗のお寺となったんですね

※号は青蓮山です。


時は移って、平安京造営の時

桓武天皇(かんむてんのう・第50代天皇)は都を守るため

4つの『磐座(いわくら・神様の鎮座する場所)』に

経典『一切経(いっさいきょう・仏の教えや解釈などが書かれた仏教の書物)』を 納めたそうです。


その4つのうち1つが

ここ明王院不動寺だと言われています

※場所については諸説あるそうですが、北は山住神社(やまずみじんじゃ)、東は観勝寺(かんしょうじ)、西は金蔵寺(こんぞうじ)と言われています。


この事から南の磐座ということで

『南岩倉(みなみいわくら)』と称したそうですよ。


南岩倉と書かれた額

額にも南岩倉と書かれています。


でもどうして都を守るために経典を納めたの

と・・・言いますと


当時、新しく造る都(平安京)の立地には

極めて重要な課題がありました。


それは

『都は四神相応(しじんそうおう)の地に造る!』

という事なんですね。


四神相応の地とは

一体どういう所かと言えば・・・


『玄武』『朱雀』『青龍』『白虎』と言った

四方を司る神様のいる所なんです。


中国の五行思想では

方位に色が当てられ

・北=黒(玄)=玄武

・南=赤(朱)=朱雀

・東=青=青竜

・西=白=白虎

・中=黄

となっています。


この事から

四神である玄武、朱雀、青竜、白虎は

五行に基づく方位の守護神と

考えられていたんですね。


つまり、4つの守護神に守られた場所に

都を造ると良いとされ

それが四神相応の地というワケなんです


ちなみに四神はそれぞれ

北に大きな山、東に川、南に池、西に大道

がある所にいるとされていました。


平安京は

北の大きな山『船岡山(ふなおかやま)』

東の川『鴨川(かもがわ)』

南の池『巨椋池(おぐらいけ・現在はありません)』

西の大道『山陰道(さんいんどう)』

があり、ロケーションとしては

バッチリだったんですね


またそれだけでなく

四方に大将軍神社(方除けの神様)を建てたり

鬼門(北東の方角)には延暦寺、赤山禅院(せきざんぜんいん)を

都の入り口には東寺と西寺を配置したんですよ。

※延暦寺については、延暦寺(東塔)延暦寺(西塔)延暦寺(横川)の記事を、東寺については、東寺(教王護国寺) その1東寺(教王護国寺) その2の記事をご覧下さい。


そうやって都を怨霊などから

守ってもらおうと考えました。


こういった経緯で

桓武天皇は経典を納めたと言われているんですね


南向きに撮影した明王院不動寺

松原通りから南向きに撮影してみました。


都を守るという事で

北向きに建っているんですよ。

この事から

『北向き不動さん』

と呼ばれることもあるそうです。


お稲荷さん

こちらは入ってすぐの左手にあるお稲荷さんです。


そんなお寺も

天暦年間(947~957年)に

鴨川の氾濫によって

お堂が全て流されてしまいます。


のちに白河上皇も嘆いたほどの鴨川の氾濫ですから

この時代、どうにも出来なかったのでしょうね

※白河上皇について詳しくは、新熊野神社の記事をご覧下さい。


その後、比叡山の苔筵法師(たいえんほうし)によって

再興されたのですけれど

再び1467年から始まる応仁の乱で荒廃・・・


しかし1586年になると

豊臣秀吉(とよとみひでよし)により

再建される事になるんですよ♪


さすが天下人ですね~!


聚楽第(じらくだい・じゅらくてい・政庁を兼ねた邸宅)を造るときに

庭石にしようと

荒廃し、苔むしになった石仏不動明王を

持っていったそうです


え?秀吉さん・・・

昨日も石仏の記事でご紹介しましたけれど

また持っていっちゃったの!?

※秀吉が持っていった石仏について詳しくは、子安観世音の記事をご覧下さい。


ちなみに持っていかれた

石仏不動明王は

夜な夜な不思議な光で

光っていたと言われています。


それを見た秀吉は

石仏不動明王を元の場所に戻し

堂舎を建てて祀ったそうですよ。


バチがあたると思ったのかも

知れませんね


そして、先の大戦が起こった際には

空襲に備え、本尊を本堂下の

磐座に避難させたそうですが

現在は元の厨子(ずし・仏壇)に安置されています。


本堂

こちらは本堂、中央にお不動さんが

右に『霊府神(れいふしん)』が祀られています。


またこのお寺は

酉年一生の守本尊

酉年の守護神と言われています。

酉年生まれの人はお参りに行かれてはいかがでしょうか


そんな明王院不動寺の場所はコチラ↓


大きな地図で見る


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