メモ2014-02-07
テーマ:史跡
関連:薩摩藩邸址(二本松藩邸) / 本能寺跡 / 土佐藩邸跡 / 坂本龍馬 中岡慎太郎 遭難之地 / 北野大茶湯之址 / お龍独身時代寓居跡 / 武市瑞山先生寓居之跡 / 名古曽滝趾 / 中岡慎太郎寓居跡 / 薩摩藩邸址(伏見藩邸) / 坂本龍馬避難の材木小屋跡 / 桂小五郎幾松寓居趾 / 明治維新 伏見の戦跡 / 高松殿址 / 古高俊太郎邸跡 / 源義経奥州首途之地 / 本間精一郎遭難之地 / 吉村寅太郎寓居跡 / 伊東甲子太郎外数名殉難之跡 / 菅家邸址 / 細川頼之公碑 / 平清盛公西八条殿跡 / 天明伏見義民顕彰碑 / 南蛮寺跡 / 

黒田如水邸跡

毎日寒い日が続きますが

皆さんどうお過ごしですか~?


インフルエンザが流行ってるみたいですから

お体には気をつけて下さいね


さて、本日ご紹介するのは・・・


黒田如水邸跡

場所は京都市上京区猪熊通一条を少し下がった西側にあります。


黒田如水(くろだじょすい)邸跡です。


黒田如水というのは戦国時代の軍師で

今、最も話題の人物なんですよ!


と言うのも

現在(2014年)、NHKで絶賛放送中の大河ドラマ

『軍師 官兵衛』の主人公である

黒田官兵衛(くろだかんべえ)の事だからです


ちなみに本名は

『黒田孝高(くろだよしたか)』と言います。

※黒田如水とは、彼が出家した後の号の事なんですよ。


一般的には

官兵衛と呼ぶほうがわかりやすいので

これ以降は官兵衛と言いますね。


では官兵衛とは一体どんな男性だったのか・・・

気になりますよね~。


ズバリ!一言で言えば

『戦国時代最強の軍師の一人』

なんです!

※最強といいながら複数いるのかというツッコミはご遠慮下さい。


彼は、今回の大河ドラマのタイトルにもあるように

軍師として豊臣秀吉(とよとみひでよし)の元で働きます。


その中で惜しみなく才能を発揮し

最終的には秀吉に天下を獲らせるんですね


しかし、一説には

その類稀なる才能を持つあまり

『秀吉が最も警戒した男!』

なんて言われたりもするんですよ


それがわかる逸話として

1596年、伏見付近で発生した大地震

『慶長伏見地震(けいちょうふしみじしん)』で伏見城が倒壊した際

心配して秀吉の元に駆けつけると

秀吉は

「わしが死んでなくて残念じゃったの?」

と言ったといわれています


秀吉が官兵衛の事を警戒していて

こんな事を言ったのか、冗談であったのか

真実はわかりませんが、例え冗談だっとしても

少しでも脅威に感じていないと

そんな台詞、思い浮かびませんよね~


とにかく切れ者として戦国時代で

有名人だった黒田官兵衛


あの秀吉の中国大返しを成功させたのは

官兵衛の仕事と言われています。


これ以上は大河ドラマのネタバレに繋がる恐れがあるので

もっと知りたい方は両足院 その1の記事をご覧下さい。



そして今回ご紹介している黒田如水邸は

秀吉の聚楽第(じゅらくてい・じゅらくだい)の近くにあったとされています。

※聚楽第とは秀吉の政庁及び邸宅で、京都都市計画の1つ。現在の京都御所程の大きさだったと言われています。


その名残がなんと町名に残っているんですね。


如水町

京都市上京区一条通黒門東入如水町


官兵衛の号に由来するといわれる如水(にょすい)町

読み方は少し違いますが、漢字は如水となっています。


しかし、これだけじゃないんですよ

こちらの写真を見て下さい。


小寺町

京都市上京区中立売猪熊上る小寺町


これは先ほどの

如水町より南にある町なんですけれど

小寺(こでら)町と書かれているのがわかりますか?


小寺とは、なんと官兵衛が以前名乗っていた

小寺姓から取られたそうなんです。

※官兵衛は、はじめ小寺政職(こでらまさもと)に仕えており、そのとき小寺の姓を名乗っていたんですね。


しかし黒田町ならまだなんとなくわかりますが

小寺姓のほうを採用しちゃうなんて・・・

どのような経緯で決まったのかはわかりませんが

今でも町名に残っているのを考えると

町の人にとっても愛されていたんでしょうね


そんな黒田如水邸跡の場所はコチラ↓


大きな地図で見る