メモ2013-10-31
テーマ:史跡
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お龍独身時代寓居跡

今回は、幕末にゆかりの石碑を1つ紹介したいと思います

それは・・・

お龍独身時代寓居跡

お龍独身時代寓居跡(おりょうどくしんじだいぐうきょあと)です


この『お龍』とは誰の事かと申しますと・・・

そうです

あの坂本龍馬の奥さんである


『楢崎龍(ならさきりょう)』の事ですっ。

この石碑は、京都の木屋町通りに建つ石碑で

かつてこの付近に龍馬と知り合う前の『お龍』が住んでいた事から

建てられたものなんですね

※2009年3月に『京都龍馬会』の方々によって建てられたそうです


ちなみに、この場所は池田屋(池田屋騒動之址)や

土佐藩邸跡なども近く、この付近には幕末の史跡が数多く残っているんですね。


寺田屋で働いているお龍は

知ってるけど、それまで何をしていたのか

ご存知の方は少ないのではないでしょうか?


では、彼女の生い立ちについて

簡単にご紹介したいと思います!!


彼女は、医師・楢崎将作(しょうさく)の長女として

1906年に京都にて生まれます

ちなみに、お父さんは

青蓮院(しょうれんいん)で住職をしていた

久邇宮朝彦親王(くにのみや あさひこしんのう)の主治医だったそうで

当時、幕府を激しく批判し

尊王の維新志士らと積極的に交流していた事から

安政の大獄で捕らえられていた事もあるみたいですよっ。

※『青蓮院』については、青蓮院 その1、青蓮院 しび2の記事を、安政の大獄については圓光寺の記事をご覧下さい。


案内板

そんな父親が、この世を去ったのは・・

お龍が21歳の頃。


この時を境に、一家は苦しい生活を強いられる事となるんですね。

それまで住んでいた家を引き払い

木屋町付近の家を借り、一家で住んでいたと言われています。


衣類や家具を売り裁きながらもなんとか生活を続けていましたが

母親が悪い男に騙され

妹が女郎として売り飛ばされそうになった事もあるみたいですよ(汗)


この時、お龍は懐に刃物を忍ばせ

死ぬ覚悟で、妹の身柄がある大阪まで単身乗り込み

男2人を相手に

「殺せ、殺せ、殺されにはるばるやって来たのだから!」

と妹を取り返す為に、ものすごい気迫で、刃物を片手に

男達に詰め寄ったというエピソードが残されています。


皆さんに中にある、お龍のイメージも

こうしたちょっと気の強い女性って感じですよね?


ちなみに、この頃に木屋町付近に住んでいたという事から

現在の『お龍独身時代寓居跡』が建てられる事となったんですね。


その後、母親と妹は三十三間堂近くにある

河原屋五兵衛の隠居所に住込みで働く事となりました


ここは、土佐を脱藩した龍馬や中岡慎太郎らの

一時的な宿舎になっていたようです。


お龍はここで働いていたワケではなかったのですが

母親や妹の様子を覗きに来た時に

龍馬と出会ったんですね~


寺田屋

ちなみに、その後は皆さんご存知のように

お龍は木屋町を離れ、伏見にある『寺田屋』にて

住込みで働くようになり、その後

龍馬と結婚したと言われています


という事で今回は

お龍こと『楢崎龍』が

龍馬と結ばれる以前に住んでいたとされる木屋町に建つ

『お龍独身時代寓居跡』をご紹介させていただきました


場所はこちら↓


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