メモ2013-07-09
テーマ:神社

賀茂波爾神社

今回ご紹介する神社は

賀茂波爾神社

賀茂波爾神社(かもはにじんじゃ)です

※通称、赤の宮とも呼ばれています。


賀茂と言う名前で

ピーンときた人もいらっしゃるかも知れませんけれど

葵祭(あおいまつり・京都3大祭の1つ)を行う神社として有名な 下鴨神社の境外摂社なんですよ

下鴨神社の摂社となったのは1877年の事で、それまでは波爾神社や赤の宮と呼ばれていたそうです。


下鴨神社から北東へ1キロほど

行った所にある神社です。

下鴨神社について詳しくは、下鴨神社 その2、下鴨神社 その3の記事をご覧ください。


御蔭祭・東游

葵祭に先駆けて行われる御蔭祭(みかげまつり)では

下鴨神社の祭神である

『玉依姫命(たまよりひめのみこと)』と

その父『賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)』に

舞楽が奉納される場所でもあります。

御蔭祭について詳しくは、御蔭祭 2012 前編(下鴨神社・御蔭神社)、御蔭祭 2012 後編(下鴨神社・御蔭神社)の記事をご覧ください。


高野河原開墾来歴碑

高野河原開墾来歴碑(たかのがわらかいこんらいれきひ)

鳥居右手にあるこの石碑は

この辺りにかつてあった

『高野河原村』の起源が刻まれています


江戸時代中期、この付近は高野川が氾濫し荒れていました。


ある時、この地を訪れた

『越後屋又兵衛(えちごやまたべえ・大阪の商人)』が

荒れ果てた地を見かね、治水事業を行いました


その功績により

後水尾天皇(ごみずのおてんのう・第108代)から土地が与えられ

村は更なる発展を遂げたと書かれています。


案内板

案内板によりますと

詳しい創建は不明だそうですが

延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)に書かれている事から

平安時代中期には既に

この地域の鎮守社として祀られていたそうですよ

※ちなみに延喜式(約50巻)とは、平安時代に藤原時平(ふじわらのときひら)らが中心となって作った(律令の)施行細則です。神名帳とは全国の神社一覧が記載された延喜式の第9、10巻にあたります。


本殿

本殿です。

祭神には天照大神(あまてらすおおみかみ・太陽神)の弟神である

『波爾安日子神(はにやすひこのかみ)』と

『波爾安日女神(はにやすひめのかみ)』が祀られています


国生みの神である

伊弉冉尊(いざなみのみこと)が

火の神様である『迦遇槌命(かぐつちのみこと)』を産んだ後

死ぬ間際に産まれてきた土の神です。

※伊弉冉尊は迦遇槌命を産んだ時、その火によるヤケドが原因で死んでしまいます。


この二柱は大地を守護し

方除や災難除、疫病、厄除け等

数多くのご利益がある神様と言われています


石碑

ちなみに神社名の『波爾』という名前の由来は

祭神から取られたとする説や

近くに流れている『高野川』が

昔は『埴川(はにがわ)』と呼ばれていたなど

諸説あるようです


また通称である『赤の宮』という名前は

宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ・伏見稲荷の主祭神で穀物の神様)が勧請され

当時は社殿を朱に染めていた事から

自然に『赤の宮』と呼ばれるようになったと言われています

江戸時代には、『赤の宮稲荷大明神』と呼ばれていた事が記録に残っているそうですよ。

※また、この辺りで土器が作られていて、その材料が赤土だった事から『赤』の字がついたとも言われています。


波爾井御神水

波爾井(はにい)御神水

下鴨神社の神様に供えられていた事から

有名になった水で

京都の名水としても知られています。

※現在でも飲む事が出来るんですよ


舞殿

舞殿です。

冒頭でもご紹介しました通り

御蔭祭ではこちらで舞が奉納されます。


還城楽


舞は『還城楽(げんじょうらく)』と言って

中国から伝わった踊りで

蛇を見つけた喜びを表現しています

※還城楽について詳しくは、水まつり 2012(貴船神社)の記事をご覧ください。


権九郎稲荷社

権九郎稲荷社(ごんくろういなりしゃ)

本殿の右側にある稲荷神社で

宇迦之御魂大神を祀っています。

社殿

現在の社殿は昭和に入ってから

地元の友禅染色工場の社長さんらにより創建されたものだそうですよ。


という事で本日は

赤の宮こと、賀茂波爾神社をご紹介させていただきました


場所はコチラ↓


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