メモ2013-06-29
テーマ:ゆかりの地巡り
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秦氏ゆかりの地巡り

今回ご紹介するのは・・・

秦氏(はたし)ゆかりの地巡りです!


秦氏は、都が京に遷都される以前から住んでいた

渡来系の氏族です。

日本書紀によると、283年(または372年とも)に

弓月君(ゆづきのきみ・秦氏の先祖)が

朝鮮半島の百済(くだら)より

18670人を率いて、日本に来たと記されています

※新羅(しらぎ)からやって来たという説もあるようです。


ちなみに、弓月君は『秦の始皇帝』の後裔と言われているんですね

彼らが日本にやって来た背景には

高句麗(こうくり)が勢力を伸ばした事により

新羅が高句麗の影響下(軍隊の常駐)に置かれ

それに押されるように日本に渡来してきたようです


秦氏は高度な織物や酒造技術を持っていたとされ

平安京の造営にも多大なる貢献をしました。


では、そんな秦氏ゆかりの地をご紹介したいと思います!!


広隆寺(こうりゅうじ)

広隆寺

京都府京都市右京区太秦蜂岡町32

603年に秦河勝(はたのかわかつ)が聖徳太子より仏像を

与えられ創建した蜂岡寺(はちおかでら)を

起源とするお寺で、秦氏の氏寺と言われています。


笛吹神社

ちなみに、京都府の南丹市にある

笛吹神社(ふえふきじんじゃ)』は

秦河勝が、蜂岡寺建立の為の木材(ケヤキ)を調達した地とされ

お礼に社を建てた事を起源とする神社なんですよ。


そんな秦河勝は

秦氏の長(おさ)と見られる人物であり

京都御所の紫宸殿は、彼の邸宅跡に建てられたと言われています

ちなみに、秦河勝の子孫には

猿楽・能の祖と言われる観阿弥・世阿弥親子や

雅楽の家元の1つ東儀家(とうぎけ)などが挙げられます

現在活躍されている東儀秀樹(とうぎひでき)さんも、その1人だそうですよ。

※この他、戦国大名で知られる長宗我部家(ちょうそかべけ)も秦氏の末裔を称していました。


・放生院(ほうじょういん)

京都府宇治市宇治東内11

604年、広隆寺と同様に

秦河勝が、聖徳太子の命令により建てた堂を

起源とするお寺です。

※創建当初は、聖徳太子の念持仏(ねんじぶつ・個人が礼拝の為に持っている仏像)であった地蔵菩薩像を祀っていたと言われています。


宇治川に架かる橋・宇治橋の守り神とも言われる事から

通称『橋寺』の愛称で親しまれています


松尾大社(まつのおたいしゃ)

松尾大社

京都府京都市西京区嵐山宮町3

701年、秦忌寸都理(はたのいみきとり)によって創建された神社です。

もともとは、社殿の背後にある松尾山、山中にあった

『磐座(いわくら)』と呼ばれる巨大な岩を

依り代(よりしろ・神様が憑依するもの)として信仰していたようです


秦氏は酒造技術に精通していた事から

松尾大社は、酒造りの神様として

酒造関係者から崇敬を受けています。


酒樽

境内には、奉納された酒樽や

亀の井

この水でお酒を造ると腐らないと言われる

亀の井(名水)が湧き出ているんですよ~。

松尾大社について詳しくは、松尾大社 その1、松尾大社 その2、松尾大社 その3の記事をご覧下さい。


伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)

伏見稲荷大社

京都府京都市伏見区深草藪之内町68

711年に、秦伊呂具(はたのいろぐ)が稲荷山(三ヶ峰・みつがみね)に

神様を祀った事を起源とする神社です。

※それ以前から、この地には秦大津父(はたのおおつち)という人物が住んでいたと言われています。


ちなみに『稲荷』という名前は

秦伊呂具の故事に由来するもので

ある日、彼が餅を的にして矢を放ったところ

その餅が白鳥に化けて、稲荷山に降り立ち

多くの『稲』が生じた事から名付けられました


初午大祭

ちなみに、毎年2月に行なわれる初午(はつうま)の日には

『畑菜(はたな)の辛子和え』を食べる風習がありますが

この畑菜は、秦伊呂具の名前から取られたものだそうですよ。

※2月の初午の日は、秦伊呂具が三ヶ峰に神様を祀った日とされています。詳しくは初午大祭 2012(伏見稲荷大社)の記事をご覧下さい。


・蚕の社(かいこのやしろ)

蚕の社

京都市右京区太秦森ヶ東町50

創建は不明ですが、松尾大社と同時期か

それ以前に建てられた神社で

正式名称を

木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)と言います。


蚕の社と呼ばれる理由は

この名前は、本殿の東側にある『蚕養神社(こかいじんじゃ)』から

取られたもので

ここには『織物の祖神』が祀られています

秦氏は優れた織物技術を持ち、養蚕(ようさん・蚕から糸を作る事)にも

長けていた事から、祀ったようですね。


ちなみに、蚕の社が建つ『太秦(うずまさ)』という地名は

秦氏が宮中に献上する絹をうず高く積んだ事から

付いた名前だと言われています。

※一説では、秦氏の拠点を『太い』という字で表し『太秦』とした、という説もあるそうです。


ちなみに、こちらの鳥居は

その見た目からも分かるように独特の形をしていますよね~。

これを三鳥居(みつとりい)と言い

京都3大珍鳥居の1つに数えられているんですよ


蛇塚古墳(へびづかこふん)

蚕の社

京都府京都市右京区太秦面影町

秦氏一族の長が埋葬されていたと思われる古墳で

古墳時代後期に作られたようです。


古墳は、時代によって作り方や、埋葬されている人

埋葬品などが違いますが

こちらの蛇塚古墳は横穴式の石室を持つタイプで

一説には秦河勝が埋葬されていたのではないか?とも

言われているそうですよ


元は全長約75メートルの前方後円墳だったようですが

現在残っているのは

石室部分(17.8メートル)部分のみとなっています。

という事で今回は秦氏ゆかりの地をご紹介させていただきました!

場所はコチラっ↓


より大きな地図で 秦氏ゆかりの地巡り を表示


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