メモ2013-06-23
テーマ:京都検定

京都検定過去問 その190

今回は京都検定の過去問をお届けします。

写真と解説付きですので

是非、問題にチャレンジしてみて下さいっ


では早速1問目です!

【問題】

承久3年(1221)、城南宮の流鏑馬(やぶさめ)に事よせて諸国の兵を募り、鎌倉幕府を倒そうとしたのは誰か。

ア.白河上皇(しらかわじょうこう)

イ.鳥羽上皇(とばじょうこう)

ウ.後白河上皇(ごしらかわじょうこう)

エ.後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)

答えは↓にスクロールして下さい。

シンキングタイム★

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では、答えですっ。

【答え】

エ.後鳥羽上皇

これは、朝廷と幕府の力関係が肉薄する中

起こった出来事で

『承久の乱(じょうきゅうのらん)』と言います。

鎌倉幕府の将軍不在を狙い

後鳥羽上皇が権力を取り戻そうと

諸国の兵を募り、城南宮で挙兵したんですね。


この時、後鳥羽上皇は

『城南宮で流鏑馬をする』という名目で

大勢の武士を集めたと言われています。

結果的に、挙兵は鎌倉幕府に発覚し

すぐに鎮圧される事となり

これ以降、城南宮では流鏑馬が行なわれなかったようです

縁切り縁結び碑(安井金比羅宮)

しかし2005年、なんと約800年ぶりに

城南宮にて流鏑馬が復活する事となったんですね。

以後も毎年ではないですが

定期的に城南宮にて流鏑馬は行なわれています


流鏑馬について詳しくは

城南流鏑馬祭 2013(城南宮)の記事をチェックしてみて下さいね。

※この他、承久の乱について詳しくは、高山寺の記事をご覧ください。


続いて2問目です!

【問題】

寛永の三筆に数えられ、俵屋宗達(たわらやそうたつ)、角倉素庵(すみのくらそあん)と強力して嵯峨本を出版した芸術家は誰か。

ア.本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)

イ.尾形光琳(おがたこうりん)

ウ.野々村仁清(ののむらにんせい)

エ.小堀遠州(こぼりえんしゅう)

答えは↓にスクロールして下さい。

シンキングタイム★

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では、答えですっ。

【答え】

ア.本阿弥光悦

江戸時代初期の芸術家である本阿弥光悦は

『日本のダ・ビンチ』とも言われ

書道家、陶芸家、画家といった様々な顔を持つ人物として知られています


中でも書道家として有名で

寛永の三筆に数えられているんですね。

※寛永の三筆とは、寛永年間(1624-1644)に活躍した3人の書道家の事です。残り2人は、近衛信尹(このえのぶただ)と松花堂昭乗(しょかどうしょうじょう)です。


三つ巴の庭

こちらは彼の作品の1つ『三つ巴の庭』です。本法寺にて見る事が出来ますよ。


そんな本阿弥光悦は

絵師の俵屋宗達や、京の豪商であった角倉素庵と強力し

嵯峨本を出版しました。

この本は、日本に入ってきた

活版印刷の技術(単語別のハンコを組み合わせて文章にし、印刷する技術)で

製本されたもので

こうした製造方法は、当時では大変珍しかったそうですよ

※本の内容は、挿絵が入った伊勢物語や徒然草などが収録されています。


本阿弥光悦について詳しくは

本阿弥光悦ゆかりの地巡りの記事をご覧下さい。


続いて3問目ですっ!


【問題】

平安京以前に渡来し、桂川流域を田園地帯に開発するとともに養蚕や機械の技術を伝えた氏族はどれか。

ア.小野氏(おのし)

イ.秦氏(はたし)

ウ.土師氏(はじし)

エ.八坂氏(やさかし)

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シンキングタイム★

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では、答えですっ。

【答え】

イ.秦氏(はたし)

秦氏は平安京以前から京に住んでいた氏族です

日本書紀によると

弓月君(ゆづきのきみ)が朝鮮半島の百済から

18670人を率いて日本に来たと記されています。

※この他にも新羅からやって来たという説もあるようです。


彼らは高度な織物や酒造技術を持ち

平安京の造営に多大なる貢献をしたと言われています


ちなみに彼らが建てた神社として

松尾大社

松尾大社(まつのおたいしゃ)や

伏見稲荷大社

伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)などが有名です。

※松尾大社については松尾大社 その1松尾大社 その2松尾大社 その3を、伏見稲荷大社については伏見稲荷大社の記事をご覧下さい。


では最後の問題です!

1級からの出題となっていますので選択肢ではありません。

ズバリでお答え下さい。


【問題】

元治元年(1864)、長州軍と御所を守る薩摩・会津などの幕府軍との戦いは、激戦地となった京都御苑西側の門の名をとって(   )とも呼ばれる。

答えは↓にスクロールして下さい。

シンキングタイム★

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では、答えですっ。

【答え】

蛤御門の変(はまぐりごもんのへん)

蛤御門

こちらが『蛤御門』です。当時の弾痕も残っているんですよ。


別名『禁門の変』とも言われるこの戦いは

池田屋事件によって有能な同士を殺害された長州藩が挙兵し

京都御所周辺にて起った戦いです。

長州藩はこれにより約400人もの同士が殺され

中には自害した人間も多数いたようです

※禁門の変について詳しくは木屋町界隈の史跡 その2の記事をご覧下さい。


こうした一連の事から

長州藩は薩摩藩らを強く憎むようになりましたが

薩摩と長州は、後に『薩長同盟』を組み

明治維新を成し遂げる事となるんですね。


という事で今回も4問出題させていただきました

皆さんは何問正解されましたか?