メモ2013-06-22
テーマ:京都検定

京都検定過去問 その189

今回は京都検定の過去問をお届けします。

3級から1級の問題を4問取り上げていますので

チャレンジしてみて下さいね


では1問目にいってみましょう。

【問題】

大徳寺

大徳寺の塔頭の一つで、小堀遠州(こぼりえんしゅう)が創建した孤篷庵(こほうあん)にある茶室はどれか。

ア.庭玉軒(ていぎょくけん)

イ.松向軒(しょうこうけん)

ウ.閑隠席(かんいんせき)

エ.忘筌席(ぼうせんせき)

答えは↓にスクロールして下さい。

シンキングタイム★

・・・

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では、答えですっ。

【答え】

エ.忘筌席


大徳寺は1315年

宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう・僧)により建てられたお寺で

境内には21個もの塔頭があるんですよ

※詳しくは、大徳寺の記事をご覧ください。


孤篷庵は1612年

小堀遠州(茶人であり建築家)により

『龍光院(りゅうこういん・大徳寺の塔頭)』に創建し

1643年、現在地へ移されたと言われています。

※1793年に1度焼失し、再建されたそうです。


忘筌席は孤篷庵の客殿西側に建てられた

12畳からなる茶室です。

※通常は非公開です。


縁側の手前に座って庭を眺めると目線の

上半分には明障子(あかりしょうじ・片面に和紙を張った障子)が見え

下半分に庭が見えます。


つまり障子で締め切った縁側の下半分が

額縁のようになって庭が眺められるんですね


続いて2問目にいってみましょう。

【問題】

醍醐寺

醍醐の花見に際して、豊臣秀吉が自ら作庭に関わったとされる庭園はどこにあるか。

ア.両足院(りょうそくいん)

イ.金地院(こんちいん)

ウ.退蔵院(たいぞういん)

エ.三宝院(さんぽういん)

答えは↓にスクロールして下さい。

シンキングタイム★

・・・

・・・

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では、答えですっ。

【答え】

エ.三宝院


醍醐の花見は

秀頼(ひでより・秀吉の息子)や

淀君(よどぎみ・秀吉の側室)、ねね(秀吉の妻)ら

総勢1300人を引き連れて

盛大に催した宴です


三宝院は醍醐寺の塔頭で

1115年、第14世座主(ざす・醍醐寺の住職)勝覚僧正(しょうかくそうじょう)により創建されました。


境内にある三宝院庭園は

池泉回遊式庭園となっていて

問題にもあるように秀吉自らが作庭に関わったと言われています。


庭の中心には

天下の名石と呼ばれる

『藤戸石(ふじといし・聚楽第より運び込まれた石)』があります

※歴代の武将に引き継がれた事から、天下の名石と呼ばれているんですよ♪


引き続き3問目です。

【問題】

石峰寺

「動植綵絵(どうしょくさいえ)」を描いたことで知られ、深草の石峰寺に草庵を建てて、五百羅漢の石仏を造った画家は誰か。

ア.池大雅(いけのたいが)

イ.伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)

ウ.円山応挙(まるやまおうきょ)

エ.原在中(はらざいちゅう)

答えは↓にスクロールして下さい。

シンキングタイム★

・・・

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では、答えですっ。

【答え】

イ.伊藤若冲


伊藤若冲は

江戸時代中期に活躍した絵師です。


『鶏』や『植物』をモチーフにした物が多く

細部にまで渡って緻密に描かれた描写は

天才の域に達しているとまで言われています


動植綵絵は彼が40歳の時から

10年の歳月をかけて完成させた30点にも及ぶ作品集です。

釈迦三尊図と合わせて

両親らの永大供養代として相国寺に寄進したそうですよ

※伊藤若冲について詳しくは、両足院 その3の記事をご覧ください。


石峰寺は1713年

黄檗宗本山・萬福寺の住職である

千呆性案(せんがいしょうあん)により創建されたと言われています。


伊藤若冲は晩年、石峰寺の門前に住居を構えて下絵を描き

密山(みつざん・当時の住職)と協力して

五百羅漢と呼ばれる石像群を制作しました。


五百羅漢は釈迦の誕生から

涅槃(ねはん・釈迦の死の様子)に至るまでを

コンセプトとして作られた大作です。


釈迦を中心に鳥獣や弟子などの石像

約500体が石峰寺の裏山に並べられているそうですよ

※詳しくは、石峰寺の記事をご覧ください。


では最後の問題です。

1級からの出題になりますので選択肢ではありません!

ズバリでお答え下さい。

【問題】

古くは、岡崎神社が東天王社と呼ばれていたのに対し、(   )は西天王社と呼ばれていた。

答えは↓にスクロールして下さい。

シンキングタイム★

・・・

・・・

・・

では、答えですっ。

【答え】

須賀神社

須賀神社(すがじんじゃ)


岡崎神社は794年

桓武天皇(かんむてんのう)が

京の町を災いから守る為に

都の四方に建てた社の1つです。

※東側に建てられた事から東天王社と呼ばれたそうです。


須賀神社はもともと

西天王塚(現在の平安神宮境内)にあり

東天王社に対して西天王社と呼ばれていたそうです。

※現在の場所には1924年に移されました。


縁結びや交通安全にご利益があり

節分の期間だけ販売されている

懸想文

『懸想文(けそうぶみ)』は

美人になれると言われ、女性に人気なんですよ

※詳しくは、追難招福豆まき祭り・節分祭 2013(須賀神社)の記事をご覧ください。


という事で今回も4問出題させていただきました!

皆さんは何問正解されましたか?





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