メモ2013-05-31
テーマ:京都検定

京都検定過去問 その181

今回は、京都検定の過去問をお届けしたいと思います


写真と解説付きですので

是非、問題にチャレンジしてみて下さいね。



【問題】

冷泉家(れいぜい)の祖・為相(ためすけ)の祖父で、嵯峨野の山荘で百人一首を編纂したとされる歌人は誰か。

ア.藤原俊成(ふじわらのとしなり)

イ.西園寺公経(さいおんじきんつね)

ウ.飛鳥井雅経(あすかいまさつね)

エ.藤原定家(ふじわらのていか)

答えは↓にスクロールして下さい。

シンキングタイム★

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では、答えですっ。

【答え】

エ.藤原定家

藤原定家は平安時代後期~鎌倉時代前期にかけての歌人です。

嵯峨野の小倉山に建っていた山荘『時雨亭(しぐれてい)』にて

百人一首が編纂された事から『小倉百人一首』と言われています


ちなみに、この小倉山には

常寂光寺

藤原定家の木像が安置されている常寂光寺(じょうじゃっこうじ)や

二尊院

時雨亭跡の石碑も建つ、二尊院などがあります。

是非、近くに立ち寄られた際は

足を運んでみてはいかがでしょうか?


この他、問題にもあります冷泉家は

現在「冷泉家時雨亭文庫」として和歌の伝統文化を

継承すべく、幅広く活動されていて

賀茂曲水宴

上賀茂神社にて開催される賀茂曲水宴において

和歌の読み上げなども行なっているんですよ~

※賀茂曲水宴について詳しくは賀茂曲水宴 2012(上賀茂神社)の記事をご覧下さい。


続いて2問目です。


【問題】

祇園祭は7月1日の(   )に始まり、31日の疫神社の夏越祓まで1ヶ月間続く。

ア.くじ取り式(くじとりしき)

イ.お迎え提灯(おむかえちょうちん)

ウ.稚児社参(ちごしゃさん)

エ.吉符入(きっぷいり)

答えは↓にスクロールして下さい。

シンキングタイム★

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では、答えですっ。

【答え】

エ.吉符入

祇園祭の初日である7月1~5日までを

吉符入(きっぷいり)と言い

お千度の儀

八坂神社では、稚児(ちご)による

『お千度の儀』が行なわれ、1ヶ月間続く祇園祭の安全祈願を行います

各山鉾町でも、関係者や町内役員が集まり

祭の無事を祈願し

各山鉾のご神体(神様)を祀ったりするんですね


その他、1ヶ月におよぶ祇園祭の

打ち合わせや準備などが始まります


続いて3問目にいってみましょう。


【問題】

千利休の作として唯一現存する茶室(   )(国宝)は、自然の材料を使い二畳という小さな空間を充分に活かした草庵風の茶室で、大山崎の妙喜庵(みょうきあん)にある。

ア.閑隠席(かんいんせき)

イ.密庵席(みったんせき)

ウ.昨夢軒(さくむけん)

エ.待庵(たいあん)

答えは↓にスクロールして下さい。

シンキングタイム★

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では、答えですっ。

【答え】

エ.待庵(たいあん)

千利休は信長や秀吉に仕えた茶人で

現在まで続く

茶の流派『三千家(さんせんけ)』の

始祖であり『わび茶』を大成させた人物として知られています


北野大茶湯之址

1587年に北野天満宮で開催した、

『北野大茶湯(きたのおおちゃのゆ)』は

800以上もの茶席が設けられた大規模なもので

見事に、秀吉をサポートし

成功させたと言われています。

※千利休については千利休ゆかりの地巡りの記事をご覧下さい。


そんな彼が建てた茶室で、唯一現存しているのが

待庵なんですね。

ちなみに、国宝の茶室は大変珍しく

現在までに

如庵(じょあん・愛知県)と密庵(みったん・京都)と

この待庵の3つしか指定を受けていないそうですよ

※如庵については正伝永源院の記事をご覧下さい。


では最後の問題です。


1級からの出題になりますので選択肢ではありません。

ズバリでお答え下さい!


【問題】

「此比都ニハヤル物 夜討強盗謀綸旨 ・・・」で始まる(   )落書は、後醍醐天皇の政治や世相を的確に風刺し、落書中の最高傑作とされる。

答えは↓にスクロールして下さい。

シンキングタイム★

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では、答えですっ。

【答え】

二条河原(にじょうがわら)

鎌倉幕府の滅亡後

後醍醐天皇により新政権が確立され

天皇親政(てんのうしんせい・建武の新政)が行われました。

しかし、この政権には不満が多く

武士は、命をかけて勝ち取った政権にも関わらず

重要なポストを武士に与えてもらえず

恩賞も、公家らに多く与えられ

領地なども一旦没収し、後醍醐天皇が取り仕切っていたそうです


こうした事から、武士達の不満が高く

中には、後醍醐天皇の暗殺計画まであったそうです。


天龍寺

その後、足利尊氏により室町幕府が開かれます。こちらは足利尊氏が後醍醐天皇を供養する為に建てられた天龍寺です。天龍寺について詳しくは、天龍寺 その1天龍寺 その2をご覧下さい。


そんな当時の様子を

風刺した文章が、京都の二条河原(政庁のすぐ近く)に掲げられたのです。

『此比都ニハヤル物 夜討強盗謀綸旨』の意味を解説すると・・・


最近都でよく見かける事を書いてみると

夜中になると寝込みを襲った強盗が起きています。


といった事が書かれています。

この文章の続きには、生首を街中のあちこちで見かけ

喧嘩や騒動が耐えない町の様子が綴られているんですね

※天皇親政について詳しくは篠村八幡宮の記事をご覧下さい。


という事で本日も4問出題させていただきました。

皆さんは何問正解されましたか?