メモ2013-02-07
テーマ:京都検定

京都検定過去問 その137

こんにちは京子です!

今回は京都検定の過去問をお届けします!

写真と解説付きですので、是非チャレンジしてみて下さいね。

では早速1問目にいってみましょう~

【問題】

祇王寺

清盛と離別した白拍子の祇王が母・妹とともに3人で出家したとされる祇王寺はどこにあるか。

ア.鳥羽

イ.岡崎

ウ.宇治

エ.奥嵯峨

答えは↓にスクロールして下さい。


シンキングタイム★

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・・・

・・

では、答えですっ。


【答え】

エ.奥嵯峨(おくさが)

祇王寺のある奥嵯峨は、京都市右京の位置し

大覚寺や清涼寺の更に西になります。

祇王寺は見事な竹林が広がる山間に位置し

真夏でも大変涼しい所なんですよ


平家物語によると

清盛と恋仲であった祇王は、妹や母親と供に、清盛に面倒を見てもらっていました


しかし、その後

同じく白拍子であった仏御前(ほとけごぜん)と清盛が恋仲となり

結果的に彼女達は捨てられ、屋敷を追い出されてしまいます。

一度は悲しみのあまり

祇王は自害を試みますが

母親の説得で断念し、母・妹と供に仏門に入り

祇王寺へとやって来たのでした。


しかし、このお話には、まだ続きがありまして

仏御前はそんな清盛にショックを受け

なんと彼女までもが尼になり、祇王寺を訪ねて来たそうです。


本堂

こうした事から本堂には、尼姿の4人の木像や

清盛の木像が安置されています。

※詳しくは、祇王寺の記事をご覧下さい。


では続いて2問目です!


【問題】

足つけ神事

下鴨神社では、7月土用の丑の日に、無病息災を祈願する別名「足つけ神事」とも呼ばれる(   )が行われる。

ア.京の流しびな

イ.御手洗祭(みたらいさい)

ウ.印章祈願祭(いんしょうきがんさい)

エ.蛍火の茶会(ほたるびのちゃかい)

答えは↓にスクロールして下さい。


シンキングタイム★

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では、答えですっ。


【答え】

イ.御手洗祭

下鴨神社の夏の風物詩と言われる御手洗祭

境内にある『みたらし池』に足をつけて

罪や穢れを祓い、無病息災を願う神事です


平安時代、宮中において

土用の丑の日には穢れを祓っていたそうで

特に夏は病が流行する事が多い為、毎年かかさず行っていたそうです


みたらし池

そして、下鴨神社の『みたらし池』は

穢れを祓う神聖な水として考えられてました。

こうして、『宮中行事』と『みたらし池』が結び付き

下鴨神社では、みたらし池に足をつけて穢れを祓うように

なったと言われています

御手洗祭について詳しくはみたらし祭 2012(下鴨神社)の記事をご覧下さい。そして、選択肢にもある『京の流しびな』や『蛍火の茶会』については、京の流しびな 2012(下鴨神社)、蛍火の茶会 2012(下鴨神社)の記事をご覧下さい。


続いて3問目です!


【問題】

宝永年間に創建された(   )の裏山には、画家の伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)が住持の密山(みつざん)とともに造った、釈迦の誕生から涅槃までの一生を表す五百羅漢の石仏がある。

ア.安楽寿院(あんらくじゅいん)

イ.海宝寺(かいほうじ)

ウ.石峰寺(せきほうじ)

エ.長健寺(ちょうけんじ)

答えは↓にスクロールして下さい。


シンキングタイム★

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では、答えですっ。


【答え】

石峰寺

ウ.石峰寺

江戸時代に活躍した、京都出身の天才絵師『伊藤若冲』は

晩年、石峰寺の門前に住居を構え

この五百羅漢の石仏を制作しました。

※もちろん絵師としても数々の作品を残しています。代表作である『動植綵絵(どうしょくさいえ)』や、若冲という人物についての詳しい説明は、石峰寺の記事をご覧下さい。


釈迦の誕生から涅槃(ねはん・釈迦の死の様子)に至るまでを

コンセプトとして作られた大作で

裏山には、約500体の羅漢像が並べられています


もちろん現在も見る事は可能です。

生涯妻子を持たなかった若冲は、ここで

妹と2人で余生を過ごし、85歳の人生に幕を下ろします。


若冲忌

石峰寺ではそんな若冲を偲び

彼の命日である9月10日には、毎年『若冲忌』も行われています

若冲忌について、詳しくは若冲忌 2012(石峰寺)の記事をご覧下さい。


では最後の問題です。


1級からの出題になりますので、選択肢ではありません。

ズバリでお答えくださいねっ!


【問題】

今年(2008年)は京都で劇映画が生まれて100年になるが、第一作である「本能寺合戦」で監督を務めたのは誰か。

答えは↓にスクロールして下さい。


シンキングタイム★

・・・

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では、答えですっ。


【答え】

牧野省三

牧野省三

彼は明治生まれの映画監督であり

『日本映画の父』とも呼ばれています。


1908年に発表された本能寺合戦は

彼の初監督作品であり、日本で始めての映画作品でもあります。


京都で制作されたこの映画には

舞台小屋に出演していた役者を起用し

撮影小屋も無かった事から

オールロケで撮影されたそうですよ


ちなみに、牧野省三の銅像が立っている等持院前は

かつて牧野教育映画製作所があったそうで

本能寺合戦を撮影後の1921年に創設されたそうです。


こうした事から

跡地に銅像が建てられているんですね。

彼の子孫には映画関係者も多く

俳優の津川雅彦さんは、彼の孫にあたる人物なんですよ~。

という事で本日も4問出題させていただきました!


皆さんは何問正解されましたか?





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