メモ2013-01-31
テーマ:お寺

光縁寺

こんにちは京子です!

今回ご紹介するお寺は・・・

光縁寺

光縁寺(こうえんじ)です

こちらは、新撰組ゆかりの寺と言われていて

総長『山南敬助(やまなみけいすけ)』らのお墓が

ある事で知られています


山南敬助は

近藤勇(こんどういさみ)、土方歳三(ひじかたとしぞう)

沖田総司(おきたそうじ)らと供に

武州多摩(ぶしゅうたま)から上洛した

いわゆる同志なんですね。


こうして、彼らは紆余曲折ありましたが

壬生浪士を経て『新撰組』と呼ばれるようになりました

※新撰組について詳しくは『新撰組ゆかりの地巡り』の記事をご覧下さい。


石碑

門前にある石碑です。


ちなみに、山南敬助はどのような人物だったのかというと

剣の腕はもちろんの事、頭が良く

新撰組の隊士からも人望があったと言われています。


ちなみに『人望』という点で対照的だったのが土方歳三で

彼は隊士に厳しく、厳格な人だったそうですよ。


こうした事から

山南敬助と土方歳三は、後に対立していく事となるんですね。



鬼瓦

山門の裏にあった鬼瓦です。これには厄除けの意味があるみたいですよ。


中嶋来章・有章の墓

境内に入って、すぐ右手には、幕末に平安四名家と呼ばれた京都円山派の絵師『中嶋来章(なかじまらいしょう)』と、その子『有章(ゆうしょう)』のお墓があります。来章は二条城本丸の襖絵などを手がけた人物だそうです。


光縁寺についても簡単にご説明しますと

知恩院の末寺にあたる浄土宗のお寺で

創建は1613年頃だと言われています。


場所は壬生寺や、屯所としていた八木邸、前川邸からも

徒歩5分ほどの距離にあり

幕末期、門前には

新撰組の所有する馬小屋もあったそうです


つまり光縁寺の前を

多数の新撰組隊士が行き来していたって事なんですね


その際に

当時の住職であった良誉(りょうよ)と

山南敬助に親交が生まれたそうです。


丸に右離れ三つ葉立葵

その理由の1つに

光縁寺の寺紋と山南家の家紋が

同様の『丸に右離れ三つ葉立葵(たちあおい)』だった事が挙げられます


こうして親しくなった事から、山南の口利きで

切腹した隊士の埋葬や供養を光縁寺で行っていたそうです


本堂

こちらが本堂です。堂内には、本尊である『阿弥陀如来像』など多数の仏像が安置されています。


そんなある日

山南敬助は『江戸へ行く』と置き手紙を残して行方をくらませたそうです。


こうなった経緯については

様々な諸説がありますが

理由の1つとして

『屯所移転問題』で近藤や土方などと揉めた事が挙げられます。


池田屋事件以後

新撰組は隊員が増え、西本願寺に屯所を移す事となりました。


西本願寺を選んだ理由として

勤皇思想の強かった長州藩を

西本願寺が影でバックアップしていたとの噂もあり

屯所を移す事で目を光らせ

勤皇志士を根絶やしにしてしまう近藤らの思惑があったんですね。


光縁寺と新撰組のゆかりについての説明

境内の看板にも、光縁寺と新撰組のゆかりについて説明が書かれていました。


しかし、山南は攘夷思想ではありましたが

この近藤らの考えに反対し、対立した事で脱走したんですね。

新撰組を辞めると切腹に値する為、逃げたんだと言われています


この時、土方は

山南が弟のように可愛がっていた沖田総司を追っ手として

差し向けるんですね。


ここで沖田総司を向かわせたのは

もしかすると

・・・土方の最後の優しさや配慮があったのかもしれないですね。

山南を確実に捕まえるなら

斉藤一(さいとうはじめ・新撰組でも多くの隊士を切った男)など

適役は他にもいたのでは?と思います。


そこを、あえて親しかった沖田に追わせるというのは

彼なら山南を捕まえる事などしない

もしくは逃がしてやるんじゃないか?

と思ったからではないでしょうか?


大石造酒蔵の墓

一番手前が山南敬助のお墓です。その奥には、大石造酒蔵(おおいしみきぞう・新選組隊士である大石鍬次郎の弟)更にその奥には、新撰組隊士・河合耆三郎(かわいきさぶろう)ら隊士16名の共同墓地が並んでいます。


しかし結果的に山南は大津で沖田に追いつかれ

屯所に連れ戻された後、切腹をしたそうです。


ちなみに

介錯(かいしゃく・切腹した人が苦しまないように後ろから首を刎ねる役)には

沖田を指名したと言われています。


このあたりの経緯や、土方、近藤などの思惑について

時代小説や、ドラマなどでは

いろんな視点、切り口で様々な描き方をしているんですよね


新撰組隊士などの墓

先ほどもご説明した通り、1番左手のお墓が

隊士16名の共同墓地となっています。


以下、名前を書き出しておきます


河合耆三郎(かわいきさぶろう)

柴田彦三郎(しばたひこさぶろう)

施山多喜人(せやまたきと)

石川三郎(いしかわさぶろう)


松原忠司(まつばらちゅうじ)

桜井勇之進(さくらいゆうのしん)

小川信太郎(おがわしんたろう)

市橋鎌吉(いちはしかまきち)

田内知(たうちさとる)


田中寅三(たなかとらぞう・寅蔵)

加藤羆(かとうひぐま)

矢口健一郎(やぐちけんいちろう)

佐野七五三之助(さのしめのすけ)

茨木司(いばらきつかさ)

富川十郎(とみかわじゅうろう)

中村五郎(なかむらごろう)


沖田氏縁者の墓

その右手には沖田氏縁者の墓があります。正面には『真明院照誉貞相大姉』という戒名が書かれていますが、誰なのかは定かではないそうです。沖田総司(もしくは、同隊士である沖田承之進)に近い人物である事は間違いないようです。


ちなみに、これらの墓前に手を合わせるには

供養料100円を支払えば、どなたでも可能です


是非、新撰組ゆかりの地に足を運んだ際は

参拝されてみてはいかがでしょうか?


そんな光縁寺の場所はコチラ↓


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