メモ2010-12-21
テーマ:お寺

妙法院

こんにちは、京子ですっ

さて本日は天台宗の三門跡寺院のひとつである・・・


妙法院門跡の入り口

妙法院(みょうほういん)ですっ。


妙法院は門跡寺院と言われ、皇族や摂家が出家する

特定の位の高い寺院なんです~!


天台宗の三門跡と呼ばれているものは

・・・三千院、青蓮院、妙法院(門跡)という事で

これで三門跡はコンプリートした事になります


妙法院門跡の唐門

ちなみにこちらは右手にある唐門になります。


では早速中へ入ってみましょう~

妙法院門跡の門札

こちらのお寺、天台宗という事で、もうお分かりですよね~。

開基は最澄(さいちょう)というお坊さんです


彼は「弟子にラブレターを送ったり」「仏教・茶・ゆばを唐から日本へ持ち帰ったり」

と、とっても魅力的なお坊さんなんですよね~


まずは、こちらの建物が・・・

妙法院門跡の庫裏(くり)

庫裏(くり)ですね。こちらは国宝となっております~っ


お坊さんの住居場所で、食事の準備などの場でもあります。

妙法院門跡の庫裏の玄関の様子

こちらは、庫裏の玄関の様子。広々としていて、大変立派なモノでした


ちなみに、この庫裏はなななーんと!

あの、豊臣秀吉が亡き父母や祖先の菩提を弔う為に

1000人の僧を集めた「千僧供養」の際に食事を準備した台所としても知られています。


そして、次にご紹介するのが

妙法院門跡の大玄関

大玄関と、その右隣にある

妙法院門跡の大書院

大書院です。どちらも重要文化財なのですね~っ


来年の大河の主人公である、お江の娘である徳川和子(東福門院)の御殿を移築したものだそうですよ~!


歴史がありますねっ♪

もちろん、この中も豪華だそうで(通常非公開なのです)

狩野派による豪華絢爛な襖絵が見事だそうです


さて、この妙法院門跡で幕末に行われた密議というのが

明治維新の出来事のひとつである「七卿落ち(しちぎょうおち)」


薩摩・会津両藩により京を追われ

長州藩と三条実美(さんじょうさねとみ)らがここで密議をし


都落ちならぬ、七卿落ちをするんですね。

その舞台となった場所であります♪


攘夷派の公家である三条実美は

京都を追い出され、長州へと向かいました


(・∀・)ノちなみに七卿落ちした三条実美は幻の総理大臣とも言われているんですよね~!

どういう事かと申しますとっ


七卿落ちから時は流れ、「維新政府」となり無事に京都へ帰ってきた三条実美。

太政大臣となるんですね


一度は京都を追い出されたのに


・・・後に太政大臣になるんですからすごいですよね!


さて、ここで維新政府は

江戸時代に結んだ「不平等条約」の改正がひとつの大きな仕事になるのです


じゃぁ一体どうすればいいんだろう?

・・・と悩む維新政府


出した答えが

とにかく西欧と肩を並べる為に

議会制政治、自主憲法を作ります!

※アジア初の憲法だったのです。


また、それだけでなく


着物を洋服に変え、チョンマゲを落とし

西洋列強に認めてもらおうと

様々な角度から日本を変えようとしたんですね


どれくらい必死だったかと言いますと

ある西洋人に

「日本にはダンスホールもないじゃないか!?」

と言われ作られたのが

鹿鳴館(ろくめいかん)ですよね~。


妙法院門跡のこの道の先に見えるのは・・・

この道の先に見えるのは・・・


妙法院門跡の普賢堂(ふげんどう)

普賢堂(ふげんどう)です。この中には本尊の普賢菩薩(白象に乗った菩薩様)があるそうです♪


外国からのお客さんや外交官を接待するために

政府によって建てられた社交場です


西洋の洋館というワケなんですね

中にはバーやビリヤードも設備され、舞踏会やパーティが連日行われました。


ここで日本人は下手なダンスを踊り西欧人に笑われながらも必死に肩を並べようとしていました

※鹿鳴館を建設した長州藩の井上馨(いのうえかおる)は幕末期には洋館を焼き討ちしていた人間にも関わらずこの建物を建て、パーティに出席していたんですね。


思想の移り変わりがよくわかるエピソードですよね


そんな中、1889年にショッキングな出来事が起こります。


外国人判事(裁判官)を導入するという条約案が、強い反発に合い

時の外務大臣、大隈重信(おおくましげのぶ)は

国家主義組織玄洋社の一員である来島恒喜の爆弾による襲撃を受け

・・・なんと右足切断するという

事態が発生します


外国人によって裁かれる国になってしまう!

つまり治外法権じゃないか!そんな事でいいのか!?

条約改正が進まないじゃないか!!

と、いう風に写ったのでしょう。


その事件から1週間後の

10月25日、全閣僚は辞表を提出したのです。


しかし!ここで・・・


ちょっと待ったーーーーーー

と言ったのが明治天皇


明治天皇は、その時の総理大臣である「黒田清隆」の辞表だけを受理し

その他の閣僚は


(・∀・)ノ引き続き続投だぁ~!

という指示を出したんですね。


え・・・じゃぁ


( ´Д`)誰が総理大臣やるの??


あ・・・え・・っと・・


じゃぁとりあえず臨時で・・・三条実美くん

と、突然の大抜擢。


三条実美はいきなり内閣総理大臣になっちゃったんですよねっ。


しかも、気付くと


・・・なんと2ヵ月にも渡って内閣を運営

天皇が三条実美に下した命は内閣の「臨時兼任」ではなく

紛れもない「兼任」だったのです


ちょっとだけのつもりが

なんと2ヶ月間も総理をしちゃいます(汗)


妙法院門跡の事務所

立派な事務所です!


妙法院門跡の宸殿(しんでん)

こちらは宸殿(しんでん)。ここで長州寄りの攘夷派公家7人が、薩摩・会津両藩により京を追われ、長州へ都落ち(七卿落ち)する事が協議し決定されました。


世間では

本当に彼でいいの?


ねぇどうなの?と言いながら

これを「三条暫定内閣」と呼んだりします。


今ではこの2ヵ月間の出来事は

「三条実美が内閣総理大臣を兼任していた」としながらも

「黒田内閣の延長」であって

「三条実美は歴代の内閣総理大臣には含めない」とする事が

一般的になっていたんですけれど、

本によっては三条内閣と明記される場合もあるそうですよ~。


そんな三条実美ともゆかりが深く

七卿落ちの舞台にもなった妙法院門跡はコチラ↓


大きな地図で見る