メモ2010-09-10
テーマ:史跡
関連:木屋町界隈の史跡 その1 / 木屋町界隈の史跡 その2 / 

木屋町界隈の史跡 その3

こんにちは京子です。


さてさてー!本日も、勢いに乗って

幕末の史跡を巡る旅、第3弾いっちゃいます


今回、ピックアップする人物は土佐出身者である

武市半平太(瑞山)、岡田以蔵

そして、坂本龍馬について書いてみたいと思いますっ


まずは、武市半平太。


彼は土佐勤王党(とさきんのうとう)という

郷士集団を作った人物として有名ですよね


この土佐勤王党には、もちろん龍馬や、以蔵も所属していまして

一言でいうと、尊皇攘夷集団でした。


そもそも、結成されるきっかけとなった出来事というのが

皆さんもご存知の・・・

1853年、ペリーの黒船来航です。


その時の幕府の対応が多くの人たちには弱腰に見えたんですね。

「このままじゃ・・・いけない

という事を悟った武市半平太は

土佐の下士(郷士)、つまり身分の低い武士をひとつにまとめ

日本を夷人の手から救う土佐勤王党を結成したんですね


政治思想を持たなかった下士(郷士)の人に攘夷の考えを植え付けたんです。そして、まずは彼らがした事として言われているのが開国論者だった「吉田東洋」の暗殺でした。


この頃、土佐は差別社会で簡単にご説明すると

武士の中でも、上士と下士に分けられていたんですね。


これはどうしてかというと


その時、四国の有力戦国大名である長宗我部家は、関ヶ原の戦いにおいて豊臣方(西軍)として出陣したんです。しかし、結果はご存知の通り、この戦いは徳川が勝ち、時代は徳川の天下になりました。


そして、家康は掛川城主・山内一豊に土佐を与えその家臣たちが後の「上士」、地元の武士が「下士」となったワケだったんですね。


そんな下士が上士を暗殺し、

これより武市半平太は京の都へ一団を引きつれ

尊皇攘夷を進める為、

邪魔な要人をどんどんと暗殺

・・つまり天誅を下す事になるのです。


武市半平太の京都の宅跡

武市半平太の京都の宅跡「武市瑞山先生寓居跡」現在は料亭になっています。


吉村寅太郎寓居跡

土佐勤王党で天誅組であった吉村寅太郎の京都の宅跡「吉村寅太郎寓居跡」現在は飲食店が建っていました。


吉村寅太郎寓居跡のこま札

こちら、こま札に詳しく吉村寅太郎について解説が載っています。


しかーし、八月十八日の政変により政局が一変。


前土佐藩主である山内容堂によって武市半平太は投獄されちゃいます。。

この頃は上士扱いの身分であった彼は

拷問にかけられる事はありませんでしたけれど

1年半の長い獄中を経て結果的に


・・・あの有名な


三文字の切腹

その人生に幕を下ろし、土佐勤王党は壊滅しました


さて

その土佐勤王党のメンバーでもあり

幕末四大人斬りの中でも、記録の中では一番人を斬ったとされているのが

岡田以蔵です

※ちなみに漫画「るろうに剣心」の緋村剣心(ひむら けんしん)は幕末四大人斬りの一人である河上彦斎がモデルだそうです。


本間精一郎遭難之地

本間精一郎は勤皇の志士で、当初は攘夷派だったんですけど次第に佐幕派に・・(汗)反発を同士から買い、京の町で岡田以蔵ら6人により殺害されました。現在は民家になっています。


人斬り以蔵と呼ばれるほど、殺人マシーンと化していた彼はすごく怖く描かれるはずなんですけど・・・テレビドラマや漫画、小説では

どこか愛嬌のあるキャラとして描かれています


それは

意外な史実として

坂本龍馬に頼まれ、江戸城無血開場で有名な幕人「勝海舟」の護衛(龍馬に頼まれたばっかりに敵方を護衛しちゃうんですよね)を一時期している事に由来します。


彼も、京から土佐に連れ戻され、拷問の後、さらし首となります。

さて、お待たせしました。

最後は坂本龍馬です


彼がした事で一番の功績は

薩長の仲介役として薩長同盟を成し遂げた事でしょう。


歴史上の好きな人物、No1にも上げられる坂本龍馬ですけど

こうなった理由として、現在の龍馬像というのは

小説家である司馬遼太郎の作品「竜馬がゆく」を色濃く投影しているからと言えます。

※創作部分も多く、フィクションと位置付ける為に龍馬の「龍」の字を、「竜」にしたそうです。


お龍独身時代寓居跡碑

龍馬の奥さんである「お龍」。彼女が父の死後、家族と移り住んだのが木屋町の家でした。「お龍独身時代寓居跡碑」


お龍独身時代寓居跡碑の解説

お龍独身時代寓居跡碑の解説。龍馬が「まことにおもしろき女」と愛したお龍のゆかりの地なんですね。


寺田屋

龍馬が寺田屋に宿泊した際に、幕兵に囲まれ、そのピンチをいち早く知らせた女性です。こちらは現在も伏見区に残る旅館、寺田屋です。


という事でもちろん坂本龍馬の人物像に関して

否定的な人もいまして・・

「脱藩浪士が薩長同盟を結べるの?」

「薩摩藩のただの使いっぱしりで、薩長同盟は龍馬じゃなく、薩摩藩が描いた絵にすぎない。」


なんて事も言われ、そういった資料も出てきていたりとか。。。


土佐藩邸の跡地

こちらは京都にあった土佐藩邸の跡地です。


土佐藩邸の跡地のこま札

ちなみに今は立誠小学校(廃校)が建っています。


しかし、京子が言いたいのは

ひとつの資料が出てきたからといって

それが真実とは限りません。


あくまで膨大な資料のひとつです。

そういう資料を紡ぎ合わせ、現在の定説が形作られるのです。


新たな新資料がこの後の龍馬像を大きく変化させる可能性はありますけど現在の時点では、今まで通りの龍馬でいいのではないでしょうか?


なにより

戦後の日本人に対して龍馬はどれほどの愛国心を与えてくれたのでしょう


GHQによって日本の歴史教育や、倫理観また精神的な支柱を大きく否定され戦前の日本はまるで悪だったかのような印象を司馬遼太郎の坂本龍馬によって少しは緩和させられてるんじゃないでしょうか?


つまり現在の坂本龍馬は戦後の日本人に

「日本人らしさ」を失わない為のアイコンのひとつと言えると思います。


龍馬は戦前の日本人の良い所全てを兼ね備えた人物そのもの。

真っ直ぐで、国の為に駆け回るその姿。

日本人が龍馬を愛して止まない理由はそこにあると思うんです!


現代人が失ったアイデンティティーを

彼によって思い出させてくれるからじゃありませんか??


京子はそんな風に思いますし、そんな龍馬が大好きです。


中岡慎太郎寓居跡

龍馬と同じく近江屋で襲われた中岡慎太郎。「中岡慎太郎寓居跡


近江屋跡

こちらは中岡慎太郎寓居跡と目と鼻の先にある近江屋跡


近江屋跡のこま札

ちなみにこの近江屋跡はコンビニになってました。


さて、そんな龍馬は近江屋で何者かによって暗殺されますけれど

犯人は現在のところ

京都見廻組の今井信郎の自供によって解決しています。


坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像

こちらは、龍馬のみならず幕末維新に殉じた志士たちが眠る京都東山にある霊山護国神社。こちらは坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像。


みなさんは、龍馬暗殺についてどんなご意見をお持ちですか


よかったら是非、みなさんの声、お聞かせくださーい


「武市瑞山先生寓居跡」はコチラ↓


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