メモ2010-07-27
テーマ:お寺
関連:知恩院 その2 / 除夜の鐘試し撞き 2011(知恩院) / 除夜の鐘試し撞き 2012(知恩院) / 瓜生石 / 

知恩院 その1

さて!本日は浄土宗の開祖、法然上人が建て

以後、徳川家が造営したとされ

二代将軍秀忠の長女、千姫(せんひめ)が眠るお寺


知恩院の石碑

知恩院(ちおんいん)です

ではでは、行ってみましょーっ。


この日も、気温は35℃くらいあったんではないでしょうか(汗)


しかも、知恩院の境内はとーっても広いよ!と聞いていたので

水分補給を充分にしてから出発しました!

知恩院の三門

まず、見えて来たのが三門(さんもん)

すんごい大きい・・・


高さ24メートル

幅50メートル

屋根瓦は約7万枚も使ってます

木造の門としては日本最大級だそうです。


知恩院の広さは

この入り口に入る三門を見ただけでビンビンと感じちゃいますね


ところで、山門じゃなくて三門?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが

三門とは三解脱門(さんげだつもん)とも呼ばれ

三つの事柄を表しています。


それが

○物事に執着しない

○見かけで差別しない

○欲望のままに求めない

悟りに通ずる三つの境地を表わしているそうで

この門をくぐる事により、一歩ずつ仏の国へ行けると言われています


うーん、なるほど~。三つの境地ですかぁ


でも、外が暑すぎて・・・

京子は

この門を通った瞬間


喉が渇いて、お茶を飲みたくなってしまいました・・・(汗)

欲望のままに求め、

( ´Д`)お茶に執着してしまった私はまだまだ未熟ですね


こちらの立派な門はちなみに

1621年、徳川二代将軍である秀忠が建てたそうで、江戸初期の技術を最大限に活かした

建築史上、とても評価の高い門だそうです。


そして三門をくぐると、正面に出てくるのが

おとこ坂!と呼ばれる急な石段が現れますっ


高さにして、24メートル分登ります。

京子、上段になる頃には、微妙に足がプルプルしちゃってました(笑)


この勾配が急な「おとこ坂」の右隣には「おんな坂」と言われる、なだらかな階段もありますので、体力に不安を覚える方はこちらから奥に進まれる事をオススメします


知恩院のせいし丸さま

石段を登ると「せいし丸さま」(法然上人の幼名)がお出迎え♪


さて、女性なのに「おとこ坂」を登りきってしまった京子。

そこを登りきると一気に視界が開けます♪


どーんと目に飛び込んでくるのは

知恩院の御影堂

本堂である御影堂(みえいどう)です~。

徳川三代将軍、家光によって建てられました


徳川家康の頃から知恩院の造営が始まったそうで

でも、どうして?徳川幕府がこの京都のお寺に??

理由は2つありまして


1つ目は

徳川家が浄土宗徒であった事

そして

知恩院の歴代住職の中に

松平氏の第4代当主の息子である存牛(ぞんぎゅう)が

いたという事が要因にあるようですね


ここで、突然話は変わって

ここ知恩院には七不思議が存在するんです。

そのうちの一つが、この御影堂の縁側の屋根にあるんですね♪


それがこちらっ


知恩院の忘れ傘

( ´Д`)完全にピンボケ(汗)

写真では伝えられなかった分、言葉で説明させて頂きます

こちらは「忘れ傘」と言いまして

写真に写っているのは

天井に忘れちゃった傘

誰がこの傘を忘れちゃったの?といいますと江戸時代初期に活躍したとされる伝説的な彫刻職人である左甚五郎(ひだりじんごろう)という方。そして、実は忘れたのではなく「魔除け」の目的で置いたそうなんですね~っ、その魔というのが火事っ。


江戸の町も何度も焼けたっていうのは有名な話ですし★


そんな火から守るお祈りはこちらの忘れ傘以外にも

あったりするんです。

御影堂にいらっしゃった知恩院の方が

親切に教えてくださった話によると


御影堂の扉の金具には水にまつわる動物が魔除けとして火から守っているんですっ

知恩院の亀

亀!


知恩院の河童

河童!


知恩院の・・・セミ?

セミ・・・?(汗)


え?なぜセミ??

水とどう関係があるのかなと思ったら


セミ⇒蝉時雨⇒雨

という事から来ているそうですよ!

洒落てますなぁ~(・∀・)


知恩院の象

他にも御影堂の扉の押さえ代わりの象(多分5キロくらいあります)


さて、先ほどの七不思議の話に戻りまして

「忘れ傘」に続く第2弾というのが


知恩院の鶯張りの廊下

鶯張りの廊下(うぐいすばりのろうか)

御影堂から伸びる渡り廊下を歩くと


ギシギシ


ギシギシ

ギシギシ


と、あら不思議。音が鳴ります。

他のお寺などでも見られる事があると思いますが

外的から身を守る防衛策の一つで

通ると、廊下が鳴る仕組みなんですね


この廊下の音が

鶯の鳴く音


ホーホケキョ!!!

に似た音が出て、さすがの忍者もその音が消せなかった

と言われています。

そして鶯の鳴き声が

「法(ホー)聞けよ(ケキョ)」とも聞こえることから

不思議な仏様の法を聞く思いがするともいわれているんですね。


さてさて、ではここまで来たので

知恩院にまつわる七不思議のもう一つをご紹介っ。


知恩院の瓜生石

瓜生石(うりゅうせき)

その昔、この石からキュウリのつるが伸び花が咲き

キュウリが青々と実ったと言われているそうです

他に、八坂神社の牛頭天王が瓜生山に降臨し、後再びこの石に来現し一夜のうちに瓜が生え実ったという説や石を掘ると、二条城までつづく抜け道があるとか、隕石が落ちた場所であるとか、様々な話が言い伝えられている不思議な石だそうです。


ちなみに残りの七不思議は非公開だった為実際に見る事が出来なかったので割愛させていただきま~す!


さて、冒頭でもお話させていただきました

こちらの知恩院は徳川幕府とのつながりがとてもあり

知恩院の三つ葉葵

お寺の中を歩くと、いたるところに「三つ葉葵」を見つける事が

出来ます。

そして、なんといっても

知恩院にある千姫のお墓

二代将軍秀忠の長女、千姫のお墓があります。


彼女は7歳で豊臣秀頼と結婚!

その後、大阪城落城(大阪夏の陣)で

連れ戻されるという波乱の人生を送った女性


そして有名な事件といえば

「千姫事件」ですよね


知恩院の経堂

こちらの経堂も二代将軍秀忠により建てられました。


大阪夏の陣で徳川が大阪城を攻撃していた最中に

家康が一番頭を悩ませていたのが

それは孫である千姫の救出だったんですね。


豊臣家に嫁いでいた千姫はもちろん

夏の陣の際には、大阪城の中にいました。


家康「うーん、どうにか孫を救出する事が出来んかなぁ・・

それさえOKなら、気兼ねなく大阪城を攻められるのに。」


そんな中、一人の徳川家の家臣が立候補します!

それが坂崎直盛(さかざきなおもり)という男。


坂崎「私が千姫様を大阪城から見事救出してみせまする!」

家康「それは誠か!?よく言った、見事成功したら何でも褒美を取らそう!」

坂崎「・・・では・・見事成功すれば、・・・千姫様を下さい!」

家康「うううむ。。。よかろう!そうせい!」

武士に二言はありませんし

武士のトップである将軍との約束は確かなものでした。


坂崎直盛はこの約束を取り付け

千姫救出に向かいます


知恩院の宝仏殿

御影堂の向かいにある宝仏殿。大きい建物が沢山並びます。


その時、大阪城は火の海。

彼女への一途な思いが坂崎を動かします。


うぉぉぉ!火を掻い潜り、大阪城の中へ入った坂崎は

千姫の元へと勇気を振り絞って向かうんです!


そして、見事千姫を城の中で発見。

坂崎「はぁはぁ・・千姫様!こちらです!早く!」

千姫「来てくれたのか?わらわの事を助けに!?」

坂崎「そうです!早くこちらへっ」


その時です!


ゴォォォォボォォォォ

炎に焼けた一本の木材が天井から落ちて来ました!

なんとその下には千姫が!!


その時でしたっ。


ガシッッッ

坂崎は両手で千姫を覆い

なんと顔面でその炎に包まれた一本の木材を

受け止め千姫を守ったのです!

坂崎「うぉぉぉ!うぉぉぉ!」

千姫「大丈夫か!?」

坂崎「千姫様、早く逃げましょう、さぁ早く!」


そして、坂崎は顔面に大火傷をしながら

見事に千姫を救出したのでした。


その後、大阪城は落城。

徳川の天下となりました。


坂崎は最大の功労者といっても過言ではありませんが

顔面に受けた大火傷の為、三日三晩寝込みました。


一時はもう危ないのではないかと囁かれましたが

見事に、意識を取り戻したのです!


知恩院の鐘楼

重さ70トンもある巨大な鐘楼。除夜の鐘の際はお坊さんが総勢17人がかりで鳴らすそうですよ。


坂崎を取り囲む同士は大変喜び

その一報は家康の耳にも入ります!


家康に呼ばれた坂崎。

坂崎「殿、おかげで命はとりとめました。そして千姫様を見事救出しました」

家康「うむ、見事じゃった。お前はスゴいヤツよのぉ」

坂崎「では・・・お約束通り、千姫様との結婚を認めていただけますか!?」

家康「・・何の事じゃ?」

坂崎「え?殿おっしゃったじゃないですか!?大阪城から千姫様を救出すれば結婚させて下さると」

家康「お前は何か夢でも見ているのではないか?」


もう、何の事だかわからない坂崎。

家康が惚けているとしか思えません。

納得出来ない坂崎は千姫と会えるよう頼み込みますがその願いも聞いてもらえません。


おかしい!こんなのおかしい!?

坂崎はその後も、周りの家臣たちに家康との約束を確認しますが

皆揃って

「お前、夢でも見ていたんじゃないか??」と言われる始末。。


結局、坂崎は千姫を嫁にするどころか、会う事も許してもらえませんでした。


実は結婚に難色を示しているのが千姫様本人だったのです。


大阪城で坂崎の焼けた顔を見てしまった千姫は

それ以後、あの顔を思い出すだけで気分が悪くなる・・・という理由でした。


家康も実は、どうにか千姫と坂崎との結婚を進めたかったのだが

その千姫が首を縦にどうしても振らず

困った挙句、とぼけていたというワケだったんです。


もう坂崎にとっては生き恥をさらしたようなものです。

周りの家臣たちも、この事実を承知で、知らないフリを決め込んでいたみたいですし(泣)


「死のう・・・」

坂崎は思います。

もうこんな恥ずかしい思いはしたくない・・死ぬしかない。

だけど死ぬ前に最後にもう一度、千姫様の顔を見て死にたい!!


そしてなんと・・・その後

千姫は桑名藩主本多忠政の嫡男・本多忠刻と結婚する事になりました。

嫁ぐ当日、千姫は輿入れに乗って大行列を引きつれ江戸から出る事に。


千姫との最後の遭遇出来るチャンスのこの日。

もちろん周りも厳戒態勢で千姫を護衛します。


坂崎が必ず現れる。


本多家からも浪人を雇い、警護にあたります。

徳川家もこのイベントを無事に成功させる為に

坂崎から千姫を守る為に護衛を大量に投入するのです。


その護衛隊の中に、徳川将軍家の剣術師範であり剣豪家の

柳生宗矩(やぎゅうむねのり)がいたのです。


彼は、どんな時でも表情を崩さない冷血な男として

武士の中でも恐れられている存在でありながら

坂崎の友でもあったのです。


そして、その時は来ました。


「うぁぁぁぁぁぁ!」

行列目掛けて刀を振り回しながら突っ込んでくる一人の男。

そうです、坂崎です。


次々と人を切り

一歩でも千姫の元へと駆け寄ろうとします。


「うぁぁぁぁ!うぁぁぁ!」

本多家の浪人を次々と斬る坂崎。


しかし

彼の事情を知っている者は剣を構える事がどうしても出来ませんでした。

彼が悪くない事は周知の事実だったからです。


坂崎は次々と斬っていきます。

そして、気付くと千姫の輿入れまで坂崎は進んだのでした。

もう、汗と涙でぐしょぐしょになった坂崎は

姫に向かって叫びます


「千姫様、・・・ひと目、ひと目だけでも、そのお顔を見せて下さい!その願いが叶ったのなら、私は死ぬ事が出来ます!」


そうです、坂崎は死ぬ場所を探していたんですね。

しかし、この言葉を聞いた千姫は一言


「嫌じゃ、嫌じゃ、顔も見とうない。」

千姫から拒絶されてしまった坂崎・・・


彼には死ぬ場所すら与えてもらえなかったのです(泣)

そこへ、


「どけ!」と人垣を掻き分け一人の男が現れます。

坂崎の友であり、剣豪家の柳生宗矩だったのです。

そして、それを見た瞬間

坂崎は


「あぁ・・・やっと死ねる・・・。」

そう思ったでしょう。


グサッ!!!


柳生宗矩はその冷血な表情ひとつ変えず

友である坂崎を・・・一刀で惨殺しました。


倒れる坂崎。

それを抱きかかえ


柳生宗矩は戦場で初めて

涙を流し声を上げて泣いたと言います。


宗矩の父、柳生但馬守宗巌は「柳生新陰流」を生み出した人なんです。


無事に坂崎から千姫を守った柳生宗矩。

徳川に刀を向けた坂崎家は取り潰しに。


そんな中、柳生宗矩にも褒美が与えられる事になりました。

「褒美は何が欲しい?何でもやるぞ。」


柳生宗矩が望んだのは

一つの家紋でした。


それは、取り潰しになった坂崎家の家紋である二蓋笠(にがいがさ)を

使わせて欲しいという事でした。


そして、その後

柳生家は「柳生二蓋笠」と呼ばれる紋となったそうです。

またこの際、坂崎の子供である平四郎と2人の家臣を引き取ったそうです。


男の友情って・・・なんだか素敵ですね。

泣けてきちゃいました。


そんな千姫の眠る知恩院の場所はコチラ↓

大きな地図で見る

最寄の交通案内

 京都市営地下鉄 東西線 東山駅(ひがしやまえき)
 市バス 206系統 知恩院前(ちおいんまえ)