メモ2010-06-08
テーマ:神社
関連:菅大臣神社 その2 / 

菅大臣神社 その1

こんにちは京子です

さて、本日は菅直人新首相も拝んだという神社

そうです、その神社の名前は・・


菅大臣神社の入り口

菅大臣神社(かんだいじんじんじゃ)

うん、そりゃ管総理も驚きますよね、自分の名前に大臣まで付いちゃうんですからっ

私もふらっと前を通りかかった神社が

「京子大臣神社」だったら思わず参拝したくなります

なぜに下の名前で? ってツッコミは無しでお願いしますね~


菅大臣神社のこま札

さて、こちらの神社ですが

学問の神様、菅原道真の誕生の地ともされており

この神社が建つ以前はこの地に菅原道真の家があったようです♪


道真の没後、菅大臣神社は創建されたのですが鎌倉時代になると南と北に分けられ

(南)「白梅殿社」⇒菅大臣神社

(北)「紅梅殿社」⇒北菅大臣神社

と名づけられたそうです

2つは離れているわけでなく目と鼻の先です~


ではまず!菅大臣神社から行ってみましょー♪

鳥居をくぐり、ずーーーーっと中まで行かないと本殿が見えて来ないのでビルやお店、住宅の間に突然、鳥居だけが建ってるようなものでグルグルグルグル探す事約10分!菅大臣神社の場所が分からずに何度も通り過ぎてしまっていました(汗)


菅大臣神社の京洛八社集印

2010年から始まった京洛八社集印めぐり。頑張ったら全部集められそう!


さて、菅原道真といえば

遣唐使を停止させた人として有名なのではないでしょうか。

そしてなんといっても

学問の神様としてあがめられていますよね~!

菅大臣神社の絵馬

絵馬にも学業成就の四文字が並びます。


道真という人は幼少より学問に励み、後に

文章博士(もんじょうはかせ)

という中国の歴史や漢文を教える先生になったのです


また、宇多天皇に重用され、大出世をし

蔵人頭(くろうどのとう)になっちゃうんです。


くろうどのとう

と思われる方もいるかもしれませんがこの蔵人頭というのは、蔵人所のトップで簡単に言うと、天皇からの命令を伝達する秘書みたいな役職です。


つまり、天皇からの命令は蔵人頭から出るので自然と

権力が集中していくんですね。


しかーし! そんな蔵人頭になった道真ですが

自分を買っていてくれた宇多天皇から醍醐天皇に代わると

当時、左大臣だった藤原時平と対立し、デマを流された挙句

・・・なんと左遷されてしまうんです。


これが世に言う901年に起こった昌泰(しょうたい)の変です。


そしてその、左遷先というのが

大宰権帥(だざいのごんのそち)といって

九州は大宰府の副司令官です。


これは当時、右大臣だった道真からすれば

天と地ほどの差がある降格です。

今では考えられないくらいの降格で

大企業の取締役から地方支社の部長くらいまで一気に急降下しちゃったのです。(泣)


そんな道真の悲しい思いが残る

「梅」がここ、菅大臣神社にあるんです。


菅大臣神社の飛梅(とびうめ)

それが、この「飛梅(とびうめ)」

道真は左遷され

京の住み慣れた家から太宰府へと行かなければならない心情を、歌にして詠みました

「東風吹かばにほひおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」

東風とは春風の事です。

主なしとは、そうまさに

・・・主を失ったこの梅の木。


しかーし主を失った梅の木ですが

なななんと!

この京の地から道真のいる太宰府まで一夜で飛んでいった事から「飛梅」という名が付いたようです。


すごい。。

忠犬ハチ公 ならぬ・・・

( ´Д`)忠梅飛公(ちゅううめとびこう)!

言いにくくてスミマセン


菅大臣神社の本殿

そして、お待たせしました!

こちらが本殿。

この菅大臣神社ですが、禁門の変やそれ以前にも何度か焼失しており

下鴨神社の本殿を、1869年(明治2)に移築したものだそうです。


それにしても、禁門の変で焼失した建物って京都の神社を回るといくつも見かけますが、それほどすごい戦いだったんですね・・(汗)


菅大臣神社の丑

道真といえば丑年!生まれが丑年だったとか、丑を可愛がっていたなど関係が深いと言われてますよね。


そして、本殿より更にその奥へと進むと

菅大臣神社の産湯があった井戸

道真誕生の際に使ったとされる産湯があった井戸です。


今でも中から水は汲み上げられるのでしょうか??

側には「天満宮誕生水」と大きく書かれた石碑もあります♪


井戸の中をどうしても見てみたかったんですけど

蓋を開けると

なんだか道真の祟りが起こりそうです・・・


いえそうなんです

その道真の祟りとされたお話がありまして


左遷され梅の歌を詠んだわずか、2年1ヵ月後…彼は失意のうちに亡くなります。

それから程なくして


醍醐天皇がいる京都の「清涼殿」に大きな雷が落ちます

その時の雷で公卿たちが何人か死亡し

それは道真の祟りによるものだ!

という噂が広まりました。


その祟りを沈める為に全国に天満宮を作ったのです

本来、雷様は天神様でしたが、それが道真の祟りが雷だった為、道真=天神様と同一視されていくようになりました。ですが、時代が進歩していくにつれ徐々に雷が神の怒りではなく自然現象だという事がわかり雷を治める為の神社から「勉強の出来る、頭の賢い菅原道真」にあやかり今では天満宮=学問の神様と呼ばれるようになったんですね

ちなみにこのとき、「桑原(くわばら)」という道真の故郷には雷が落ちなかった事から雷よけとして「くわばらくわばら」と唱えるようになったといわれていて

それが、近年では、何か悪いことが起こらないように

くわばらくわばらと言うようになるんですね


さて、最後に北菅大臣神社にも足を運んでみました。

場所は菅大臣神社の本殿より北に上がり仏光寺通りを越えた場所にありました


菅大臣神社の菅家邸址の石碑

北菅大臣神社に向かう途中には菅家邸址の石碑


それがこちら!


菅大臣神社の北菅大臣神社

民家に完全に挟まれている北菅大臣神社。

道真の父、是善(これよし)を祀っています。


こんなに小さいのに

よく観ると・・・


ママチャリが強引に・・・乗り付けられています(汗)

罰当たりだなぁ。。。


( ´Д`)くわばらくわばら!!!!

そんな菅大臣神社の場所はコチラ↓


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