今回ご紹介するのは

京都市伏見区の日野(ひの)にある


法界寺(ほうかいじ)

法界寺(ほうかいじ)です!


法界寺は、東光山(とうこうざん)と号す

真言宗醍醐寺派(しんごんしゅうだいごじは)の寺院で

平安中期の貴族である日野資業(ひのすけなり)が

1051年(永承6年)に出家して、この地にあった

日野家の山荘に藤原北家(ふじわらほっけ)の

藤原内麻呂(ふじわらのうちまろ)が伝承した

最澄(さいちょう)自作の薬師如来像をご本尊として安置し

お寺に改めたのが始まりです


こま札

こま札


ご本尊が薬師如来である事から
法界寺は通称
『日野薬師(ひのやくし)』とも呼ばれ
日野家の氏寺で
菩提寺となっているんですね


「ひのやくし」と刻まれた石碑

「ひのやくし」と刻まれた石碑


ちなみに日野家は、藤原北家の一族で

資業の頃から日野氏を称したといわれています

※藤原北家は、藤原不比等(ふじわらのふひと)の息子4人が、それぞれ興した4つの家である藤原四家(ふじわらしけ)の1つ。藤原北家の他に藤原南家(ふじわらなんけ)、藤原式家(ふじわらしきけ)、藤原京家(ふじわらきょうけ)があります。


室町幕府第3代将軍である

足利義満(あしかがよしみつ)が

日野時光(ひのときみつ)の娘

業子(なりこ)を夫人に迎えてから

足利将軍の正室は、日野家から出る

という慣習となったそうで

それは9代将軍の足利義尚

(あしかがよしひさ)まで続きました


そんな日野家は、室町幕府第8代将軍
足利義政(あしかがよしまさ)の正室
御台禅尼(みだいぜんに)と呼ばれた
日野富子(ひのとみこ)の頃
最も隆盛を極めたといわれています!


法界寺の鐘楼(しょうろう)

法界寺の鐘楼(しょうろう)


ちなみに日野富子と言えば

1467年(応仁元年)に起こった

『応仁の乱(おうにんのらん)』

きっかけの1つを作った人物でもあるんですね


足利義政と日野富子との間に
子供がなかった為に室町幕府の次の将軍は
義政の弟である義視(よしみ)に
譲る事となっていたんですけれど・・・
なんとその後、富子が義尚(よしひさ)を
身ごもってしまうんですね~


富子は、もちろん息子に将軍職を

継がせようと考えるんですけれど

すでに次の将軍職には

義視がなる事になっていたので

ここで争いが起こったというワケです

※応仁の乱について詳しくは銀閣寺(慈照寺)の記事をご覧下さい。


また、日野家一族の中には
浄土真宗を開いた
親鸞(しんらん)も知られ
法界寺の近くには親鸞誕生地である
日野誕生院(ひのたんじょういん)が
あるんですよ


法界寺の宝篋印塔(ほうきょういんとう)

法界寺の宝篋印塔(ほうきょういんとう)


ちょっと脱線しましたけれど

再び法界寺の歴史に戻りまして・・・


資業が山荘を寺に改めた事から始まった法界寺は

1089年(寛治3年)に日野実政(ひのさねまさ)が

法界寺別当(べっとう)の宣下を受けると

それ以降、歴代は別当職を引き継いだそうです

※寺院においての別当とは、寺務を統括する長官職の事。


その後、1221年(承久3年)の

承久の乱(じょうきゅうのらん)の兵火等で

阿弥陀堂以外の伽藍は焼失してしまったそうで

1533年以降は、醍醐寺

三宝院(さんぽういん)所属となりました。

※承久の乱について詳しくは、高山寺の記事をご覧ください。


そして1809年(文化6年)
浄土真宗の西本願寺
(にしほんがんじ)は
浄土真宗開祖である親鸞の
誕生の地、日野にある
法界寺を復興させるんですね


それでは早速、中に入っていきましょう


法界寺の山門

法界寺の山門


こちらの山門をくぐって中に入ると

ひし形の石が綺麗に敷かれた

延段(のべだん)があります


法界寺の延段(のべだん)

法界寺の延段(のべだん)


この延段に沿って歩いていき

しばらくすると右手に池が見えるんですね。


法界寺境内の池

法界寺境内の池


池の前には弁財天(べんざいてん)を

お祀りする弁天堂や大師堂(たいしどう)があります!


弁天堂(べんてんどう)

弁天堂(べんてんどう)


大師堂(たいしどう)

大師堂(たいしどう)


そしてさらに延段に沿って
まっすぐ歩いて右手に行くと
薬師如来を安置する本堂
『薬師堂(やくしどう)』が
あるんですよ


法界寺の本堂である「薬師堂」

法界寺の本堂である「薬師堂」


こちらの薬師堂は、奈良県の

斑鳩町(いかるがちょう)龍田(たつた)にあった

伝灯寺(でんとうじ)の本堂を

移築したものだそうで

棟木(むなぎ)の下に書く棟木銘(むなきめい)が

1456年(康正2年)と書かれている事から

室町時代に造られたものと思われます


お堂の中に安置されているご本尊の
薬師如来は通称
『乳薬師(ちちやくし)』とも
呼ばれているんですね~


これは、今のご本尊の胎内に

創建時の最澄作の三尺の薬師如来像が

納められているからなんですね


この事からご本尊の薬師如来は
女性からの信仰が厚かったそうで
祈願すると、お乳が出が良くなると
言われた事から『乳薬師』と
呼ばれるようになったんですね


お堂の左右には

よだれ掛けが奉納されています


薬師堂に奉納された「よだれ掛け」

薬師堂に奉納された「よだれ掛け」


安産や子育て祈願、またお乳が出ないお母さんに

ご利益があると信じられているんですね


法界寺寺務所では
『御守り付よだれ掛け』が
授与されているんですよ!


法界寺寺務所

法界寺寺務所


そして、寺務所前、山門から延段に沿って
まっすぐ歩いた左手には
1118年(永久6年)以前の建立とされる
国宝の阿弥陀堂があります


法界寺の阿弥陀堂

法界寺の阿弥陀堂


平等院(びょうどういん)の鳳凰堂(ほうおうどう)や

三千院(さんぜんいん)の往生極楽院

(おうじょうごくらくいん)とともに

代表的な浄土教建築として知られているんですね


阿弥陀堂の中には
定朝(じょうちょう)の作と伝わる
寄木造の丈六(じょうろく)の
阿弥陀坐像が安置されています


定朝は、平安時代後期に活躍した仏師で

寄木造の完成者といわれる人物です

※寄木造とは、複数の木材を繋ぎ合わせて仏像を作る技法。

※定朝について詳しくは、七条仏所跡の記事をご覧ください。


法界寺では毎年、元旦から14日まで
五穀豊穣や家内安全、無病息災等の
諸願成就を祈願する修正会
(しゅしょうえ・正月に行われる法会)が
行われ、その最終日には
裸踊り(はだかおどり)』が奉納されます!


法界寺の裸踊り

法界寺の裸踊り


裸踊りは、江戸時代には

すでに行われていたそうで

現在、京都市登録無形民俗文化財に

指定されてるんですよ~


という事で今回は伏見区の

日野にある法界寺をご紹介しました!


法界寺の場所はコチラ↓

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