今回ご紹介するのは

京都に古くからある伝説を

いくつかご紹介したいと思います


京都は、『魔界』と
表現する人がいるくらい
数々の伝説が各地に伝わっている
場所でもあるんですね


そしてそういった伝説は、うわさ話程度で終わらずに

能や狂言に取り入れられたりするものもあります


あなたの知らない京都が

まだまだあると思いますよ~


それでは早速、ご紹介していきましょう


真如堂殺生石鎌倉地蔵(しんにょどうのせっしょうせきかまくらじぞう)


殺生石鎌倉地蔵

場所:京都市左京区浄土寺真如町82


真如堂には、殺生石鎌倉地蔵という

近寄る生き物を散々に殺したといわれている

おどろおどろしい名前の

お地蔵さんが安置されています


このお地蔵さんは
もともと中国にいた狐の妖怪である
『妖狐(ようこ)』で金色の毛に
9つの尻尾を持っていたというんですね!

※九尾の狐(きゅうびのきつね)や九尾狐(きゅうびこ)とも呼ばれます。


妖狐は美女に化けて

中国の皇帝をたぶらかしては

国を傾けさせる程の害をなしていたそうですよ


その妖狐が結局、正体が見破られ

日本に逃げてきて『玉藻前(たまものまえ)』という

美女に化けたそうです


玉藻前は、鳥羽上皇(とばじょうこう・第74代天皇)を

たぶらかしたみたいなんですけれど

退治されて巨大な毒石になったというんですね


その毒石が近寄る人や動物を

散々に殺したといわれています


そういった事からこの石は
『殺生石(せっしょういし)』と
呼ばれて大変恐れられました。


その後、玄翁(げんのう)という禅僧が

殺生石を杖で叩いて割り

妖狐を成仏させ、割れた石で地蔵菩薩を造って

鎌倉にお堂を建てて安置したといわれています


そのお地蔵さんが

真如堂に移ってきたんですね


大将軍神社(東山三条)の鵺の森(たいしょうぐんじんじゃのぬえのもり)


大将軍神社の鵺の森があったとされる場所


場所:京都市東山区三条大橋東三丁目下る長光町640


大将軍神社には

頭は猿で胴は狸、手足は虎で尻尾は蛇という

怪鳥の鵺(ぬえ)が住んでいたと

いわれる森があったそうです


現在、鵺の森はありませんけれど

森のあったと思われる場所は

広場のようになっています


平安時代、天皇の住まいである
内裏(だいり)で虎鶫(とらつぐみ)に似た
鵺の鳴き声がしてそうで
それに近衛天皇
(このえてんのう・第76代天皇)や
二条天皇(にじょうてんのう・第78代天皇)が
とても怯えたというんですね。

※実際に虎鶫の鳴き声を聞いてみると口笛のようなピーピーとかフィーフィーといった感じです。


その際、弓の名手と言われた

源頼政(みなもとのよりまさ)に鵺退治が任され

頼政は東三条の森から湧き出る黒雲の中に

動く物体の影を見つけ、矢を放ち退治をしました


現在、鵺が落ちた場所は

鵺大明神の祠が建てられ

頼政が鵺退治の際に祈願した

神明神社(しんめいじんじゃ)には

鵺を射抜いた矢尻が奉納され

その矢尻の写真が掛けられています


知恩院濡髪大明神(ちおんいんのぬれがみだいみょうじん)


濡髪大明神(知恩院)

場所:京都市東山区林下町400


知恩院の境内には

濡髪大明神というユニークな名前の

祠があります


1633年(寛永10年)に起こった火災で

お堂が焼失してしまったようで

再建された御影堂である不思議な出来事が起こります。


当時の住職である霊厳(れいげん)が
説法をしていたある雨の日
お堂の外を見ると、雨にずぶ濡れになった
1人の男の子がシクシクと
泣いていたんですね


霊厳が泣いている理由を尋ねると

なんとその男の子

知恩院が再建された際に棲みかを失った

白狐(びゃっこ)だというんですね


白狐は、棲みかを失った腹いせに

住職を懲らしめてやろうと御影堂へ来たんですけれど

説法を聞いているうちに

「自分は、なんて酷い事を
しようとしていたんだ」

と考え、涙を流したそうです


そして白狐は

「これからは知恩院を火から守る!」

と、約束したそうで

それを聞いた霊厳は白狐に

雨をよける傘を貸し

裏山に白狐の寝ぐらを作るだけでなく

祠を建て『濡髪童子』と名付けて

お祀りをしたそうですよ


その祠というのが

濡髪大明神というワケなんですね!


ちなみに御影堂の縁側の屋根には
『忘れ傘』といわれる傘があるんですけれど
これは霊厳が白狐に貸してあげた傘といわれ
白狐が、お礼を言って
返しに来た物なんだそうですよ♪

※諸説あります。


妙満寺の紀州道成寺の鐘(みょうまんじのきしゅうどうじょうじのかね)


妙満寺

場所:京都市左京区岩倉幡枝町91


妙満寺の本坊には寺宝の

『紀州道成寺の鐘』が安置され

安珍(あんちん)・清姫(きよひめ)の

ある怖い話が伝わっています


熊野詣の修験者である安珍が

ある宿に泊まった際

庄屋の娘である清姫に

一目ぼれをしてしまいます


2人はすぐに恋に落ちたそうで
安珍は
「熊野詣をしてきたらすぐに戻ってくるよ!」
と言って再会を約束しました


けれど安珍は、その約束を破り

裏切るんですね~


それに清姫が怒り心頭で

安珍のいる紀州の道成寺(現在の和歌山県川辺町)まで

追っていったそうなんですけれど

なんと!その途中でどうしたわけか

清姫は蛇の姿になっていたというんですね


蛇の姿になった清姫は
鐘の中に隠れていた安珍を見つけると
鐘に巻きついて炎を吐いて
鐘を真っ赤に焼き
安珍を焼き殺してしまったそうです


清姫は、真っ黒に焼け焦げた安珍を確認して

自ら日高川に身を沈め

自殺したといわれています


けれど話はここで終わらず

430年の月日が流れた

1359年(正平14年)3月11日・・・


鐘を祝う祝儀の席で

とある1人の白拍子が

舞を舞ったんだそうなんですけれど

その舞が終わった直後・・・


白拍子は蛇の姿となり
その鐘を引きずり落とし後
その中に消えてしまったというんですね


これは清姫の怨霊であるとされ

また、鐘の音が悪かった事もあり

この鐘は道成寺の裏の竹林に埋めたみたいです


そしてその鐘が現在

妙満寺に納められているというんですね。


という事で、今回は

京都に古くからある伝説を

ご紹介させていただきました!

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