今回ご紹介するのは

京都市上京区にある

浄光寺

浄光寺(じょうこうじ)です!


創建は安土桃山時代の

終わり頃と伝えられているそうですよ

ちなみに浄土宗のお寺です。


浄土宗 浄光寺

そして浄光寺は

池大雅(いけのたいが、またはいけたいが)ゆかりのお寺で

境内墓地には池大雅のお墓もあるんですね


池大雅墳墓道

山門前にある『池大雅墳墓道』と刻まれた石碑です。


浄光寺は池大雅ゆかりのお寺ということもあって 通称『大雅寺(たいがでら)』とも 呼ばれています。


そんな池大雅については

また後ほどご紹介するとしまして

早速、中に入っていきましょ~


山門をくぐると

目の前には本堂があります。


本堂

本堂の中には、ご本尊である

阿弥陀如来像が安置されていました。


この阿弥陀如来像なんですけれど

首もとから胸にかけて

細いヒビのような線が入っているんです


これは、過去の火災の際に

運び込んだときに出来た傷ではないかと

言われています。


浄光寺は過去何度も

火災にあったんだそうなんですね


そしてこちらは池大雅による

一枚起請文

一枚起請文(いちまいきしょうもん)です。


一枚起請文とは

法然(ほうねん)が亡くなる直前に書いた

遺言の事なんです

※浄土宗の教えである念仏の意味などについて書かれているそうですよ。


その一枚起請文を

池大雅が書いたものが

コチラというわけなんです。


写真を見たら

お分かり頂けるかと思いますけれど

彼の独特な字のタッチが

ありありとわかるものとなっていますよね。


ではこのあたりで

池大雅について簡単ではありますけれど

ご紹介したいと思います


こま札

池大雅は

江戸時代に活躍した文人画家で

与謝蕪村(よさぶそん)とともに

日本の南画(なんが)の大成者と

言われているんですよ♪

※南画は、日本における文人画の事です。日本文人画と言われているそうです。


彼の代表作には

蕪村との合作で知られる

『十便十宜図(じゅうべんじゅうぎず)』や

『楼閣山水図屏風(ろうかくさんすいずびょうぶ)』

『山水人物図(さんすいじんぶつず)』

があり、いずれも国宝に指定されています


また、黄檗宗(おうばくしゅう)の萬福寺(まんぷくじ)には

重要文化財に指定されている『五百羅漢図』があります。


そんな彼は1723年(享保8年)

京都の北区にある

深泥池(みどろがいけ、またはみぞろがいけ)あたりで

生まれます。


4才の頃に父を亡くしてしまったせいか

幼少の頃から浄光寺に

預けられる事が多かったようですよ。


そんな事から、この浄光寺で

字などを教わったと言われています


乾三十三所 第23番 浄光寺

浄光寺は、乾三十三所の第23番に数えられていたみたいです。


また7歳の頃になると

中国の書風である唐様(からよう)を

学び始めたそうなんですね。


ある時、萬福寺


萬福寺

萬福寺です。


書を披露する機会があった際

披露した書があまりにも素晴らしい出来栄えだったみたいで

お坊さん達から『神童』と呼ばれたみたいです!


7才で神童だなんて

すごい子供だったんですね~。


また彼が30才の頃になると

祇園町の町(まち)という女性と結婚し

真葛ヶ原(まくずがはら・現在の円山公園あたり)に

住んだそうです


この町という女性も

後に女流画家の玉瀾(ぎょくらん)と呼ばれ

名の知れた画家になったと言われています。


しかしこの2人ちょっと変わってまして

ある時、池大雅が筆を忘れて出かけていったのを

玉瀾が気付くと

急いで走って池大雅に渡した事があったそうです。


しかしその時、池大雅は

「どこのどなたが存じませんけれど

ご親切におおきに、ありがとうございました!」

お辞儀をして、さっさと行ってしまったそうなんですね


実の奥さんに気が付かなかったんですよ!


それだけでもビックリなんですけれど

さらに驚きなのが

奥さんも奥さんで

別段気にする様子も無く家に戻ったんだそうです


2人を知る人が見たら

喧嘩でもしてたの?と思うような

シチュエーションですけれど

とても仲の良い夫婦だったみたいです。


しかし、仰天エピソードは

コレだけでは終わりません♪


実はこの2人、住んだ場所もお墓も

別々だったそうですよ!!!

もう何と言うか、すごい夫婦ですよね~


こちらは池大雅のお墓になります。

池大雅のお墓

また、池大雅はお金では動かなかったらしく

経済的にはとても豊かとは言えなったそうです。


けれど彼はとても大雑把な性格だったみたいで

絵の代金を玄関のざるの中に入れてもらうどころか

そのざるの中身を全く見てなかったそうなんですね


こういったエピソードを知ると

絵もそれにあらわれているんだなぁと思います♪


こちらは池大雅の作品で

『各月の歌 屏風』です。


各月の歌 屏風1
各月の歌 屏風2

先ほどの一枚起請文よりも

字が崩されて書かれているのがわかりますよね。


これは池大雅が

40歳前後の頃の作品なんだそうです。

普通に見たら絶対に読めないと思います


なかよし地蔵

境内にあった『なかよし地蔵』です。


そんなユニークで個性溢れる字を描く

池大雅ゆかりのお寺!

浄光寺の場所はコチラ↓


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