今回ご紹介するのは

京都市下京区にある

聖光寺

聖光寺(しょうこうじ)です!


こちらの聖光寺は

通常非公開のお寺なんですけれど

今回『京都浄土宗寺院 特別大公開』で

特別公開されていましたよ~


ちなみに聖光寺のある場所は

京都の電気街でもある

寺町通り沿いにあります。


そして聖光寺の境内墓地には

赤穂浪士とゆかりのある人物の

お墓があるんですね~


そちらはまた後ほどご紹介するとして

まずはお寺の簡単なご紹介をしていきましょう♪


こま札

聖光寺は浄土宗のお寺で

山号を錦綾山(きんりょうざん)

院号を曼荼羅院(まんだらいん)と

いいます


筑前国香月(現在の福岡県北九州市八幡西区)出身であった

聖光房(しょうこうぼう)弁長(べんちょう・僧)が 京都を訪れた際

この地に小庵を結んだそうなんですね。


なぜ弁長が京都を訪れたのかと言いますと

筑前にある明星寺の五重塔の本尊を

慶派の仏師である康慶(こうけい)に

依頼しに来たと言われています。

※慶派とは名前に『慶』の付く仏師を多く輩出した仏師一派の総称です。


そんな弁長はもともと

天台宗のお坊さんだったそうですけれど

京都で法然(ほうねん)と出会って

学識や人柄に敬服し

浄土宗に帰依したんだそうですよ


その後、京都で約8年もの間

法然の教えを受けて

浄土宗の奥義を相伝すると

なんと!

浄土宗の第二祖となるんですね


そして、いよいよ弁長が筑前へ戻るという時に

康慶は大変悲しんだそうで

弁長に自筆の真影(しんえい・肖像画)を乞うたと言われています。


つまり現代で言う所の

写真を欲しがったという事ですよね


その真影を弁長が住んでいた小庵に安置して

聖光庵としたのが聖光寺の始まりなんだそうですよ♪


弁長はその後

主に九州の地で布教活動をした事から


鎮西聖光上人遺蹤と刻まれた石碑

山門前に建てられていた石碑。『鎮西聖光上人遺蹤(ちんぜいしょうこうしょうにんいしょう)』と刻まれています。


鎮西上人(ちんぜいしょうにん)とも呼ばれるそうです

※鎮西とは、7世紀後半に筑前に設置された地方行政の機関の事。


少し前置きが長くなりましたけれど

それでは早速中に入っていきましょう!


参道

山門をくぐって中に入ると

左手には地蔵堂があります。


地蔵堂

こちらの地蔵堂には

開運地蔵菩薩が安置されていました


そしてこちらが本堂です。


本堂

本堂です。


本堂の中にはご本尊である

阿弥陀如来が安置されているんですよ。


本堂には他にも

1823年の火災の際に燃えずに焼け残った

弁長自筆の真影があり

焼け残ったという事から

『焼残りの御影』と呼ばれています。


庫裏の前の庭園

こちらは庫裏の前の庭園です。


また、恵心僧都(えしんそうず)源信(げんしん)の

筆と伝わる『山越の弥陀三尊』や

天下の三曼荼羅(さんまんだら)の1つである

『清海曼荼羅(せいかいまんだら)』といった

寺宝も見ることが出来ましたよ

※残りの2つの曼荼羅は、当麻(たいま)曼荼羅、智光(ちこう)曼荼羅です。


お抹茶を頂きました。

訪れた際には、お抹茶を頂きました。


さて冒頭でも触れました

赤穂浪士とゆかりのある人物の

お墓なんですけれど

それがこちらになります


ちょうど庫裏の裏側が

お寺の墓地になっているんですね。


庫裏

庫裏です。


その人物とは・・・

赤穂浪士・大石内蔵助良雄(おおいしくらのすけよしお)の お母さんのお墓なんです!


大石良雄生母之墓

『大石良雄生母之墓』と刻まれています。


ちなみに忠臣蔵(ちゅうしんぐら)は

江戸時代に起きた

『赤穂浪士討ち入り事件』を元にした演目ですよね。


1701年(元禄15年)、12月14日に

大石内蔵助良雄(おおいしくらのすけよしお)以下

四十七士が、吉良邸へ討ち入りをしたのはあまりにも有名だと思います

※赤穂浪士討ち入り事件に関して、詳しくは山科義士まつり 2010(大石神社)の記事をご覧ください。


そんな内蔵助の実母のお墓とは別に

もう1基、赤穂浪士とゆかりのある人物の

お墓がありましたよ。


それがこちらの

天野屋利兵衛(あまのやりへい:安田善右衛門好時(やすだぜんえもんよしとき)または綿屋善右衛門好時(わたやぜんえもんよしとき))のお墓です。


天野屋利兵衛之墓

彼は赤穂浪士を

陰でバックアップしたといわれる

影の立役者なんですね

※ちなみに天野屋利兵衛のお墓は地蔵院(椿寺)にもあります。


『天野屋利兵衛は男でご座る』と刻まれた石碑

山門前に建てられていた碑で『天野屋利兵衛は男でご座る』と刻まれています。『仮名手本忠臣蔵』の十段目では、天野屋利兵衛は天河屋義平(あまかわやぎへえ)として登場します。その名台詞「天河屋の義平は男でご座る」にちなんだものと思われます。


その他にも

『アラカン』と言われた映画俳優

嵐寛寿郎(あらしかんじゅうろう)のお墓もあるそうですから

また次回、特別大公開された時は

お参りに訪れてみてはいかがでしょうか


そんな聖光寺の場所はコチラ↓


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