今回ご紹介するのは

華光寺

華光寺(げこうじ)です!


華光寺は上京区の

出水通(でみずどおり)沿いにある日蓮宗のお寺で

出水通の七不思議に数えられた

あるものがあったお寺なんです

その辺の事は後ほどご説明させていただきますね。


それでは早速レポートして行きましょう。


山門

こちらが山門になります。


華光寺は1583年(天正11年)に

妙顕寺(みょうけんじ)の12世日堯(にちぎょう)上人が

隠居所として開創したのが始まりなんだそうですよ


蓮金山と書かれた額

本堂にかかる『蓮金山(れんきんざん)』と書かれた額です。

本尊は十界曼荼羅。


時の天下人である

豊臣秀吉(とよとみひでよし)が


大毘沙門天王略縁起

伏見城に安置していた毘沙門天を

寄進したそうで、毘沙門堂には

毘沙門堂

そのときの毘沙門天が安置されているそうです


開運・厄除けのご利益があると言われ

地元の方には

「出水の毘沙門さま」と呼ばれて

親しまれているそうですよ♪


ちなみに

京都を見守る毘沙門天と言われる

鞍馬寺の毘沙門天像と

同木同作なんだそうですよ

鞍馬寺について詳しくは、鞍馬寺 その1、鞍馬寺 その2の記事をご覧ください。


華光寺境内

また華光寺は

池波正太郎(いけなみしょうたろう)さんの小説

『鬼平犯科帳』で有名な

長谷川平蔵(はせがわへいぞう)のお父さんである

長谷川宣雄(はせがわのぶお)の

葬儀が行われたお寺でもあるそうです


長谷川平蔵は江戸時代

石川島(隅田川河口の三角州を埋め立ててつくった島)の

人足寄場(にんそくよせば・職業訓練所)を

作った人物として有名です。


そして華光寺には、冒頭でお話した

出水の七不思議に数えられた

あるものがあったと言いましたけれど

そのあるものが

この梵鐘の下にあります


梵鐘

1288年に鋳造大工の橘則弘が作ったとされています。

どうです?わかりますか

塊のような物がちょっとだけ見えてますよね~


根っこ

アップで撮影してみましたよ♪

もうわかりました、、、よね?


単なる木のオブジェに見えるかも知れませんけれど

実はこれ、秀吉お手植えの松だったんです!

※既に枯れてしまってます


秀吉が植えたから

七不思議に数えられているのではありませんよ~

ただの松ではないんです!


通称『時雨松』と呼ばれ

なんと、晴れているにも関わらず

枝から滴を落とし、まるで時雨のようだったそうなんです!


大正時代には、まだ元気だったそうなんですけれど

それが枯れてしまって

このような状態になってしまっているんですね・・・。


元気だった頃の時雨松を

是非とも見てみたかったものですね


現在は本堂前に時雨松の子孫が

時雨松の子孫

植えられています。


さらに時雨松以外にも

七不思議に数えられたものが

ありました!


それは五色の花を咲かせるという

『五色椿』


残念ながらこちらも枯死してしまっていて

見ることは出来ないんですよ~!

ダブルで見れないなんて、残念です。


ちなみに残りの

出水通の七不思議を簡単にご紹介しますと

光清寺(こうせいじ)の浮かれ猫

地福寺(ちふくじ)の日限薬師(ひぎりやくし)

観音寺の泣く山門

五劫院(ごごういん)の寝釈迦(ねしゃか)

・極楽寺の二つ潜り戸

なんですけれど、

またの機会に、ご紹介するので

楽しみにしていて下さいね


最後に、この華光寺の境内には

いくつもかわいいお地蔵さんが

ありましたよ~


こちらをちょっとご紹介します。


赤いニット帽に、よだれかけをしたお地蔵さん

赤いニット帽に、よだれかけをしたお地蔵さんや


石に彫られたお地蔵さん

石に彫られたお地蔵さんがいらっしゃいました。


そんな華光寺のある場所はコチラ↓


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