今回ご紹介するのは

新選組ゆかりの地である

不動堂屯所跡(ふどうどうとんしょあと)です!

※新選組の字は新撰組と書かれているものもあり、文書でも、どちらも使用例があります。当サイトでは以下、新選組で統一しますね。


不動堂屯所は

新選組の屯所の中でも

『まぼろしの屯所』と

言われているんですよ


そのあたりの

詳しい解説は後ほどするとして

まずは新選組って一体何者?

というところからご紹介したいと思います。


新選組とは

日本の歴史上

最大かつ最強の剣客集団といっても

過言はありません

※新選組がもっとも大きくなったときは200人超す集団となったそうですよ。


近藤勇の銅像

こちらは壬生寺にある新選組の局長『近藤勇(こんどういさみ)』の銅像です。


新選組をあまり知らない人からすると

人斬り集団というイメージがあるかも知れませんね。


一応言っておきますと

彼らの任務は京都の治安維持で

今でいう警察みたいなものなんです。

※新選組について詳しくは、新選組ゆかりの地巡りの記事をご覧下さい。


また、新選組が活躍した時代は

激動の時代である

『幕末(江戸時代末期)』です

※幕府の末だから幕末という事なんですね。


そして幕末と言えば、歴史ファンであれば

その言葉だけで胸躍らせる時代だと思います。


人気の理由は

思想1つで若者が命をかけているからではないでしょうか。


今の日本で命をかけて何かをやるということは

ほとんど無いですよね。


まだ年端もいかない

若者が儚い命をかけて

時代のうねりに奔走していく。

そこに歴史ファンは浪漫を感じるのだと思います


そして幕末で人気の人と言えば

必ずといって良い程

名前の上がる人物

『土方歳三(ひじかたとしぞう)』がいます。

新選組副長として有名ですよね。


さて、前置きが長くなりましたけれど

さっそく新選組ゆかりの

不動堂屯所跡を見ていきましょう

※ちなみに屯所とは、巡査や兵隊の駐在所の事を指します。


実は新選組は、その屯所を

何度も変えているんですね~。


一番はじめに屯所としたのは

八木邸

こちらは八木邸です。


前川邸と八木邸です

八木邸について詳しくは、八木邸の記事をご覧下さい。


その後、人が多くなってきたという理由から

太鼓楼

こちらが実際に新選組が屯所にしていた西本願寺内にある太鼓楼(たいころう)

西本願寺に場所を移します。


しかし西本願寺

防備が薄かった為

新たな場所が選ばれる事になりました。

西本願寺について詳しくは、西本願寺の記事をご覧下さい。


その場所というのが

今回の不動堂屯所なんですね

※建築費用は西本願寺側が負担し、1867年に不動堂屯所が出来たと言われています。


広さは3千坪あったといいますから

ちょっとした大名屋敷ですよね。


そんな立派な屯所も

同じ年の1867年12月14日

わずか半年で伏見奉行所へ

警備のために移動してしまうんですよ。


その後、新選組は

1868年1月3日から鳥羽伏見の戦いに入り


明治維新 伏見の戦跡

『鳥羽・伏見の戦い』において新政府軍(朝廷軍)が本陣を置いた御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)に建つ石碑です。


二度と京の町に屯所を構える事はありませんでした。

※鳥羽伏見の戦いについて詳しくは、明治維新 伏見の戦跡の記事をご覧下さい。


ちなみに、こちらの屯所

明確な場所がわかっていません


しかし、この付近にあったのだろうという

場所は何ヶ所かあるんですよ。


という事で、今回は

その数ヶ所をご紹介しますね。


①リーガロイヤルホテル

リーガロイヤルホテル・石碑

こちらには石碑の他に

近藤勇が新選組を結成した頃に詠んだ歌

近藤勇が詠んだ歌

「事あらばわれも 都の村人となりて やすめん皇御心(すめらみこころ)」

の歌碑が建っていました。


②ハトヤ瑞鳳閣(ずいほうかく)

此付近 新選組最期の洛中屋敷跡

最近の研究で一番有力と言われている場所です。


③不動堂明王院

不動堂明王院

そもそも、不動堂屯所があったと言われている

不動堂村の名前の由来は

このお寺があったからという事みたいですよ。

※もっとも古くから不動堂屯所跡を主張していたのが、こちら不動堂明王院だと言われています。


『まぼろしの屯所』提灯

提灯を見ると

まぼろしの屯所と書かれていますね


これらの場所は

いずれも『この付近』と言う表現がされていて

『この場所』とは言われていません。


実際に新選組隊士の話を参考にすると

『醒ヶ井通七条下る三丁目』や

『醒ヶ井通木津屋橋下る東側』

『七条堀川下ル』

と、この付近の通り名が色々と出てくるんですね~


ちなみに醒ヶ井通(さめがいどおり)は、

堀川通(ほりかわどおり・南北に走る幹線道路)の西側にあり

南に進むと途中で堀川通と合流します

※現在は六角通(ろっかくどおり・四条通より少し上にある東西通)から五条通までしかないんですね。


当時、屯所跡があったといわれる地域は

いずれも七条通~塩小路(七条通より少し南にある東西通)辺りですから

醒ヶ井通が無い以上

明確な場所が特定できないんです。


いずれにしても

この付近にある事は

まず間違いがありませんので

今後新しい発見があり次第

ご紹介していきたいと思います


という事で今回は新選組、まぼろしの屯所

不動堂屯所跡をご紹介しました~。



そんな不動堂屯所跡の場所はコチラ↓


より大きな地図で 不動堂屯所跡 を表示
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