今回ご紹介するのは

紅葉で有名な東福寺(とうふくじ)の塔頭(たっちゅう)である・・

勝林寺

勝林寺(しょうりんじ)です!


本尊を毘沙門天(びしゃもんてん)とするお寺で

東福寺の鬼門(北東)に建っている事から

東福寺の毘沙門天』や『毘沙門堂』とも呼ばれているお寺です。

※ちなみに山科にある毘沙門堂とは別のお寺になります


臨済宗のお寺で、坐禅教室なども

定期的に行なっている事でも知られていますっ


毘沙門天

境内に向かう階段にも『毘沙門天』と書かれた、のぼりが多数立っています。


さて、そんな東福寺の鬼門を守る

毘沙門天とは・・・一体どんな神様なのでしょう!?

七福神の一人だったよね?といった事くらいしか

知らない方も多いと思いますが

毘沙門天は

仏教の四天王と呼ばれる神様の1人であり

『武神』とされる荒々しい神です

※四天王とは『持国天(じこくてん)』『増長天(ぞうじょうてん)』『広目天(こうもくてん)』『多聞天(たもんてん・別名が毘沙門天)』です。


その姿は

左手に『宝塔(仏教施設の1つで、塔の一種)』を持ち

右手には『三叉戟(さんさげき・先が3つに分かれた槍)』を持つ

攻撃的な姿をしていて

怒に満ちた表情でこちらを睨んでいる神様です。

まさに武神って感じなんですよっ


こうした事から、戦国武将の中には

毘沙門天を崇拝している人が沢山いたようで

上杉謙信なんかは自分の事を「毘沙門天の化身である!」と言ったり

黒田長政(戦国武将の1人で、父親は名軍師で知られる黒田官兵衛)は

毘沙門天を念持仏(ねんじぶつ・個人が礼拝やお守りの為に持っている仏像)として

兜の中に納めていたとも言われています。

※黒田長政について詳しくは両足院 その1の記事をご覧下さい。


こま札

さて、そんな毘沙門天を本尊とする勝林寺は

室町時代末期の1550年に、東福寺の住職であった

高岳令松(こうがくれいしょう)が建立した草庵を起源とします

その後、衰退しますが

江戸時代中期、中興の祖と言われる僧・独秀令岱(どくしゅうれいたい)が

高岳令松の霊告を受け

東福寺の仏殿、天井内に密かに安置されていた毘沙門天を発見し

本尊として再興したと言われています


この時、毘沙門天を祀った事から

近くにある海蔵院(かいぞういん)の鎮守として崇められ

その後、東福寺や仏教そのものを守護する『毘沙門天のお寺』と

言われるようになったそうですよ


ちなみに、勝林寺に伝わるのは

高さ145センチの毘沙門天像で

平安時代後期の作と言われています。


通常は非公開ですが、春や秋に特別公開されているそうなので

気になる方は、タイミングを合わせて見に行かれてみてはいかがでしょうか?

さて、この他にも

冒頭で言った通り、勝林寺では坐禅教室が定期的に

開かれていまして

気軽に坐禅体験が出来ます~っ。


しかも!

ただ坐禅をするだけでなく

夜間に行なったり、朝粥の精進料理付きの早朝坐禅、女性限定の坐禅など

一味変わった坐禅を企画されているんですよ~っ。

気軽に参加出来るようなので

気になる方はこちらもチェックしてみてください


石塔

境内には『一切経(いっさいきょう・仏の教えや解釈などが書かれた仏教の書物)』を埋めたとする石塔も建っています。


ちなみに、勝林寺の檀家には

五摂家(藤原家を祖とする5つの名家)の1つである

近衛家(このえけ)もいたそうで

冒頭の写真に写る本堂は近衛家の大玄関を移築したものだと言われています。

※五摂家は、近衛家・九条家(くじょうけ)・鷹司家(たかつかさけ)・二条家(にじょうけ)・一条家(いちじょうけ)になります。詳しくは拾翠亭の記事をご覧下さい


そんな『東福寺の毘沙門天』として知られる

勝林寺の場所はコチラ↓


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