こんにちは京子です。

さて、本日ご紹介する神社は・・・

大酒神社

大酒神社(おおさけじんじゃ)です。


場所は、京都の太秦(うずまさ)と呼ばれる地域にあります。

この太秦と呼ばれる地名の由来を

ご説明しておきますと

その昔、この土地を治めていた豪族というのが・・

秦氏(はたし)です!!


彼らは、古墳時代に日本列島に渡来し

大和政権の組織下に入るんですね。

では、どこから渡来して来たのかと言いますと・・・

(・∀・)ノ朝鮮半島(百済)なんです!


弓月王(ゆずきのきみ)という人物が

372年、百済から民衆1万人以上もの人間を

引き連れ倭(日本)に渡来してきました。


大酒神社

由緒が書かれていました。


当時、中国大陸では内乱が繰り広げられていて

それを回避する為に弓月王は海を渡ってやって来たといいます。


この事から『大酒神社』はその昔『大避神社』と

書かれていたそうですよ。

この事から、大酒神社は災難除けや、悪疫退散のご利益もあるそうです。


ちなみに、彼ら(秦氏)は、製陶、養蚕、機織などの技術に

優れていて

宮中に献上する絹を『うず高く積んだ』事から

太秦(うずまさ)という地名が残ったとも言われています。

※この他にも、秦氏の拠点を『太い』という字で表し太秦と読んだという説もあります。


大酒神社

こちらが本殿です。


さて、大酒神社の祭神は

先ほども説明した『弓月王』、そして彼の孫と言われている

『秦酒公(はたのさけのきみ)』

そして、もう一人が『秦始皇帝(しんのしこうてい)』です。

※一説では、秦氏は秦の皇帝の末裔だとも言われているそうですよ。


この事から分かるとおり、

大酒神社は、この太秦という地に住む秦氏の氏神として

建てられたという事がお分かりいただけると思います。


明治期の神仏分離令により場所が移動しましたけれど

かつては、蜂岡寺(広隆寺の古称)の境内にありました。

※ちなみに、蜂岡寺も秦氏の手によって建てられたものなんですね。


この他にも

秦氏が埋葬されていたと言われている蛇塚古墳なども

太秦エリアには史跡として残っているんですよ。


大酒神社

境内にあります記念碑です。変わった形していますね。


大酒神社

石碑には太秦明神『呉織神 漢織神』と書かれていました。


最後に、ひとつ変わったお祭りをここでご紹介したいと思います。

それが

『牛祭』


京都三大奇祭のひとつと言われている、こちらのお祭り。

※ちなみに三大奇祭は太秦の牛祭・今宮神社やすらい祭鞍馬寺の火祭です。やすらい祭についてはやすらい祭 2010(今宮神社)をご覧下さい。


奇妙でユーモラスなお面をつけ

白装束姿の魔多羅神(まだらじん)が

牛にまたがり、練り歩きます。


祭壇では

特有の方言を交えた祭文を読み上げる

神秘的なお祭りだそうです。


一番変わっている点が

参拝者がその魔多羅神に向かって

なんと・・・


( ´Д`)野次を浴びせるしきたりがあるんですね!

なんだか想像できない感じですけど。


京子もまだ未参加のお祭りなので気になるトコロです♪


かつては大酒神社の祭りとして牛祭は

執り行われていたそうで

現在は広隆寺の祭りとして復興しているんですよ。


そんな大酒神社の場所はコチラ↓


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