こんにちは、京子です


さて、本日は

臨済宗の寺格、官寺制度である「京都五山」では

別格ナンバーワンにランクされ

JR東海「そうだ京都行こう 2008年 春」では

その綺麗な桜が印象的なお寺


南禅寺の入り口

南禅寺(なんぜんじ)です


南禅寺のこま札

さて、ここもかなり広~いお寺であります。

日射病に気をつけてレッツゴーしましょう~


南禅寺の勅使門(ちょくしもん)

こちらは、入り口にある「勅使門(ちょくしもん)」

もちろん一般の人間はくぐる事が出来ないのです。


勅使、いわゆる天皇や朝廷からの使者用の門ですね。他には新しい住職が就任する時に行われる儀式のみで使用されるとの事です。

でもでも、最後に勅使門を使ったのはいつなのでしょうね


南禅寺の蓮

勅使門近くには綺麗な蓮がとっても涼しげに咲いています。


さて

一般人の京子も、もちろん勅使門ではなく、その隣の門から

南禅寺に入場ですっ。


入った瞬間・・


どーん

ゴジラが現れたかと思うほど、黒光りしたその大きな面構えっ


そうです、

この南禅寺のやっぱり一番の見所と言えば・・・

これしかないですよね~


南禅寺の三門

三門(さんもん)超ビッグ

以前に訪れた知恩院の三門に負けずビッグなのです

南禅寺の三門の一番のポイント

そして、この三門の一番のポイントというと


南禅寺の三門に登れちゃう

三門に登れちゃいます

高さにして22メートル、ビルにして7階ってトコでしょうか(・∀・)ノ


さてさて、

もうこうなったら登っちゃうしかないですよね~。


高所恐怖症の方の為に

京子ブログでは、その絶景の様子をリポートしたいと思います


とにかく、三門の中は階段が急

手すりがない後ろに転びそうな程で

ちょっぴりビクビクしながら登りきると・・・そこは


南禅寺の絶景

絶景だーー!!!!

ちなみに、この三門の上は「五鳳楼(ごほうろう)」と呼ばれ中は部屋のようになっており、その回り(つまり今でいうベランダ的な感じ!?)をぐるっと歩く事が出来るんです。


部屋の中は入れませんけど窓から覗く事はOKです。


この三門、じつは応仁の乱の際に一度燃えていて現在の三門は藤堂高虎(とうどうたかとら)という安土桃山時代、江戸時代前期にかけての武将・大名が再建しました。彼は建築技術に長けていた人だそうで、宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城・膳所城などを築城した人物として知られています。


ちなみに、藤堂は秀吉死去までは豊臣側。

そして関ヶ原では徳川についた大名だったのですね。


そんな藤堂高虎が大坂夏の陣に倒れた将士の菩提を弔うために再建したものなんです。


五鳳楼の中には、釈迦如来と十六羅漢像

藤堂家歴代の位牌、大坂の陣の戦死者の位牌などを安置しています


・・そして、この三門でもうひとつ有名な話っていうと


伝説の大泥棒、石川五右衛門(いしかわごえもん)が

この上に登って言った言葉・・・


「絶景かな、絶景かな」


歌舞伎「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」に出てくるワンシーンなのです。どうして五右衛門がここにいたのかっていうと、住所不定の世を忍ぶ人間が隠れ住むには最適な場所がこの三門だったみたいで悠然な桜を見ながらこの高い三門から都を一望した時に言ったセリフだそうですよ


南禅寺の法堂(ほうどう)

さて、そんな三門から法堂(ほうどう)が見えました

次はそちらに向かいたいと思います~


南禅寺の自筆句碑

道中には「この門を 入れば 涼風おのずから」森永湛堂老師(1900~1975)の自筆句碑です。


南禅寺の幡竜(ばんりゅう)

こちらの中には

釈迦如来像を中心に、幡竜(ばんりゅう)という天井に描かれた竜がいて

「八方にらみの竜」にも負けないくらいの迫力でした


そういえば、話は少し戻りますけど

歌舞伎や浄瑠璃、落語になるほど有名な石川五右衛門。

彼は天下の大泥棒といわれていました。


そして、もうひとつ石川五右衛門といえば・・・


五右衛門風呂(ごえもんぶろ)ですよね

泥棒であった石川五右衛門が捕まり、京都の三条河原で刑を受けるんですね。


そこで登場するのが五右衛門風呂

その刑はというと、なんと

油で煮えたぎった釜の中に五右衛門は入れられ、煮られちゃったそうです。


うぅ、これはかなり極悪な刑だなぁ。。(汗)


以前は五右衛門の実在や、この五右衛門風呂が

疑問視されていた程だったんですけど

五右衛門実在説が有力とされた資料が発見されたのです。


それは

イエズス会の宣教師の日記や資料だったんですね。


当時、イエズス会は世界各地での宣教活動を重視し、優秀な宣教師たちを

日本にも積極的に派遣したんですね。


皆さんもご存知!

一番有名な人といえばフランシスコ・ザビエル


つまり、宣教活動と言っていますが日本の状況を事細かに本国のローマ法王に報告していたんですよね


分かりやすくいうとスパイ行為でしょうか?

彼らはローマ法王を中心とし、宗教の力によって

世界を統一しようとしていたんです。


その矛先の一つが日本だったんですね~


でも、そんな外国人の目から見た戦国時代が資料として

残されているのは実に興味深いと思いませんか


・・・あ、熱くなりすぎて

南禅寺を紹介するの忘れてました(汗)


さて、そんな五右衛門風呂の熱さとは一点、少し涼しげな場所も

この南禅寺境内にあります

南禅寺の水路閣(すいろかく)

水路閣(すいろかく)

橋のように見えますよね??


じつはこの上を水が流れているんですね

南禅寺の説明書

1888年に作られたこちらのレンガ造りの疎水橋は全長93.17メートル

もちろん今でも現役選手というのですから驚きっ!


南禅寺の粟田山陵と呼ばれる鎌倉時代の後嵯峨天皇の中宮・西園寺姞子(さいおんじきつし)のお墓

水路閣の側には粟田山陵と呼ばれる鎌倉時代の後嵯峨天皇の中宮・西園寺姞子(さいおんじきつし)のお墓がありました。


南禅寺の本坊

こちらは本坊です。

その隣には国宝である方丈と庭園もありましたよ~っ!


京都といえば、湯豆腐ですよね

その豆腐は、昔この南禅寺の門前で売られていたそうで、「南禅寺豆腐」と言うんです。

もちろん、今も南禅寺の周辺には湯豆腐を出すお店が軒を連ねています


最後に、石川五右衛門が捕まった理由として

よく挙げられるのが

なんと秀吉の甥である秀次の家臣、木村常陸介から

「秀吉暗殺」を依頼され秀吉の寝室に忍び込んだ際に香炉(こうろ)が鳴って捕えられたそうです。


香炉とは陶器で出来た固体状の香料を加熱し溶かして匂いを発生させるものですね。


こっそり忍び込んだ五右衛門が

足かなんかに、香炉をひっかけて転んじゃったんでしょうか

あ・・

ちなみに、


ルパン三世に登場する五右衛門は、13代目の末裔だそうです。

( ´Д`)13代目って設定が・・・細かい。


そんな南禅寺の場所はコチラ↓


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